えとりんご

観劇の記録。ネタバレご注意を。この橋の向こうにジャコブ通り。

宝塚宙組NEVER SAY GOODBYE ②アギラール×桜木みなと

※NEVER SAY GOODBYE (以下、ネバセイ)の感想第2弾です。ネタバレご注意ください。

アギラール×桜木みなと

 ネバセイには主演の真風涼帆さん演じるジョルジュを初め、魅力的な人物が複数登場する。真風さんの色気については前回散々語り倒したところだが、役でいうと、ジョルジュよりヴィセントより私の心を掴んで離さないのが実はアギラールだった。今回私をネバセイに誘ってくれた知人は、きっとジョルジュ派?ヴィセント派?って感想を求めてくるだろう。まさかのアギラール派…と答えてもいいのかどうか教えてください有識者様。人格疑われたりはしない…よね?笑
 一応これには思い当たる理由がある。過去ブログにも書いているが、私には最推しミュージカル作品がある。『マタ・ハリ』という作品なのだが、その中に出てくるラドゥー大佐という人物が大好きで、その沼にどっぷり浸かって生きている。アギラールがこのラドゥー大佐を彷彿とさせるものがあって、もう最初から目が離せなかった。実生活でこの手のタイプの男性が好きな自覚はないんだけども、いやぁとても愛おしい役だった。注目したとっかかりがラドゥーだとしても、元カレを引きずって投影しては失礼なので、アギラールをリスペクトして彼自身について考察していきたい。

アギラールの正義

 私はネバセイの良さは、登場人物がそれぞれに自分の理想を強く持っていて、それに向かって迷いなく進んでいるところだと思う。人生の真実を写真に収めたいジョルジュ、愛するバルセロナを守りたいヴィセント、戯曲やラジオを通して真実を世の中に伝えたいキャサリン、そして愛する祖国をファシストから何としても守り抜きたいアギラール。それぞれの思いが重なったりぶつかったりするのがとても良い。

 アギラールは登場するなり悪役のオーラ全開ではあるが、元々は真っ向から対立していたわけではないはずなのに、どうしてああなってしまったのだろう。スペインを守りたい、ファシストには負けないという愛国心が人より少し強いばかりに、それだけしか見えなくなって、ほんの少しのずれも許せなくなってしまった。1幕でフランコ将軍の反乱の報が届いた時には、市民一丸となってスペインを守ろうと拳を振り上げているのはアギラールだった。市民一人一人と熱く握手を交わしたり、腕を振り上げたりしている姿は、市民を率いる救世主のようでもあった。冷徹さも見せてはいるけれど、孤高の指導者として、それなりに人望を集められそうな雰囲気もある。

 それが、PSUCやPOUMといった政党が複数立ち上がり、政局に発展していく中で、純粋に祖国を守りたいだけの市民との間に溝が生まれてきてしまう。祖国を守るというゴールに直線的に向かっている市民と、そのゴールを確実に達成するための手段として、まずは統一した民兵を組織することやソビエトの後ろ盾を得ることを前面に打ち出すアギラール。間違ってない、間違ってないよ、アギラール君。事実、若者の愛国心だけを搾取してほぼ丸腰で戦地に送り、国のために散ることを美徳とした指導者はどの時代にもどの国にもいたわけだけど、何が正しいかはのちの歴史が裁くことだから。限られた時間と限られた情報の中で最適の戦術を考えるのは、誰よりも国を愛している指導者で、そして時にそれは誰よりも疎まれる孤独な定めにある。

 そういう意味で、アギラールの思考のスタートは間違っていないと思うけれども、自分の策が最善だと信じすぎるあまりに、それを妨げるものをことごとく排除してしまった。「我々が法律だ!」「偉大な目的のためならば全ての手段が許され~る~!」その極端さゆえに、祖国を思えば思うほど、市民を思えば思うほど、市民の心が離れる悪循環に陥っていく悲しさよ。そして、祖国を守るという崇高な理念がいつしか自分がスペインを支配するという個人の欲望にすり替わってしまう。この過程がとても丁寧に描かれていて、醸し出す悲哀が非常に良かった。

愛すべきアギラール

 アギラールも元はもう少し人間味のある愛嬌ある人物なんだろう。2回目のサンジョルディの祭りがめちゃめちゃツボだった。いつも通りコワモテな感じで登場したアギラールだったが、祭りの途中で踊りに参加するよう促される。は?なんで俺が?!みたいな表情で面倒くさそうな素振りを見せるのだが、即座にノリノリの表情で剣を振りかざして、娘を襲ったドラゴンを退治する騎士役をこなす。最後に赤い薔薇の扇子を持たされて、娘を救った英雄と崇められるシーンでは、自尊心をくすぐられまくってドヤ顔が抑えられないご様子。特に少し目を細めて顔を斜めに傾ける感じが、全面的にドヤ~っていう圧を押してきていて、もうこちらもマスクの中でニマニマが止まらなかった。か、可愛すぎか…!血も涙もない独裁者のようなアギラールが、突然男子小学生のような単細胞さを見せるあのギャップがたまらん可愛かったですね。きっとキャサリンの前でいいカッコ見せたかったんだろね~。残念ながら全然見てなかったけどもね!いや、キャサリンに見せたいだけではなくて、あれこそ本当にアギラールの夢だったんだろうな。スペインのピンチを救って皆に慕われる正義のヒーローになりたかったんだろうね。あのシーンを見ると、普段冷徹な鎧をまとっているけれども、もっと素の自分を出して相手の懐に飛び込んでいけば、きっと人心も掌握できて、スペインの窮地を救う指導者になれただろうにと思ってしまった。

 そしてアギラールの最大の見せ場はやっぱりキャサリンに迫るとこですよね。え、アンタ女に興味あったんかい?と思わせる突然の豹変ぶり。う~ん、ジョルジュの女性遍歴は色々想像できる気がするが、アギラールには遍歴あるんだろうか??ちょっと想像できない…。お相手もなれそめも想像できない…。そもそもあれはキャサリンを愛しているのか?それともいけ好かないジョルジュへの当てつけに、その女であるキャサリンに手を出そうとしているのか。無理やり羽交い絞めにして「俺はこの女が欲しいんだ!」と叫んでいるけど、女の気持ちは全く無視だし、愛されたいとか分かり合いたいとか言うより、支配欲の塊なんだよね。全く愛し方を知らん奴だと思うわけだけど、それにしては意外にも女の扱いに慣れていそうで突然フェロモンだだ漏れにしてくるのでマジかー!となりましたね。おもむろにネクタイを緩めたかと思いきや、突然のあごクイからの髪をゆ~っくり撫でたりするのが最高に気持ち悪いんだけど、めちゃめちゃ色気だだ漏れでしたねぇ。キャサリンの反撃を受けても、ニヤ~と唇の片端で笑いを浮かべながらジャケットの襟をピッと合わせながらドヤ顔で去っていくの、実に悪い奴だった。

 でも終始わ~るい顔してキャサリンを上から見下ろしてるんだけど、キャサリンがジョルジュの名前を出すとピクリと反応し、「あんな男のことは忘れさせてやる」とか言い出してムキになるのがいい。ここでちょっとだけ立場逆転し、キャサリンが「どうやって?あなたには無理よ」と鼻で笑うと、「できる!」というアギラール。出た!ここでも登場、アギラール少年!笑 できる!って最高すぎませんか!? シリアスすぎるキャサリンの危機を忘れて両目まんまるになっちまったよ。坊やできるんだ~そうかいそうかい、みたいな感じで。。

 というかよく考えると、ここでアギラールを煽るキャサリンもキャサリンだよねぇ。気が強くて向こう見ずとも言えるし、男の本性を知らない幼い女性とも言えるけど、あそこで男に火をつけるのは強すぎるし、あれが無自覚だとすると魔性の女すぎる。まぁそれによって、できる子アギラール爆誕してしまうわけなんだが、もうあの瞬間には祖国を守る崇高な理想はどこへ行ったやら、権力を振りかざして国をコントロールし、キャサリンを何としても自分のものにしたい欲望に支配されているようだった(いいんです、それもいいんです)。

 アギラールは基本的に冷徹孤高の独裁者風情を貫いているんだけど、そこから少年みたいな隙を見せたり、とんでもないフェロモン振り撒いたりするので、この振り幅がジョルジュよりヴィセントよりめちゃめちゃ格段に大きくて愛おしかった。志半ばで消えてしまったけれど、悪役だけにしておくのは勿体ないと思ったし、心理構造が多重で、ある意味では最も人間臭い人物だったので、もっともっと色々な葛藤や欲望に振り回される姿を見たいと思わせてくれた。悪役には悪役の正義があって、本人は盲目にそれを貫いているだけというのが悪役の放つ美しさだと思うし、彼にはその複雑な心理をもっと知りたいと思わせる妖しい魅力が満載だった。これだけの爪痕を残してくれたアギラールと桜木みなとさんに全力で拍手を送りたい。

※余談ですが、アギラールの魅力に取りつかれてしまった方は多分こちらも楽しめる方だと思います。→ミュージカル『マタ・ハリ』 | 東宝 モール アギラールにどこかよく似たフランス軍事諜報部のラドゥー大佐が女スパイマタ・ハリに狂っていく歪んだ愛を堪能できます。ちなみに、マタ・ハリ役は宝塚OGの柚希礼音さんと愛希れいかさんがWキャストで演じており、音楽はネバセイと同じフランク・ワイルドホーン作曲です!


宝塚セカンドデビューを終えて

 個人的な好みにより、フォーカスはジョルジュとアギラールに留めておくが、他の役もとても素敵だった。娘を嫁に出すなら危なげな色男ジョルジュやエキセントリックなアギラールより断然ヴィセントだろうと思うぐらいにヴィセントは全方位理想の男だった。あと、私は常日頃思っているのだが、恋愛要素が絡む作品については、登場する男性達に心奪われることが多くなるわけだけど、舞台として満足できるかどうかは、その男性達が命を懸けて愛するに値するほどヒロインが素敵な女性かどうかが重要だと思う。その意味で、キャサリンは美しいだけでなく自立した強い女性であり、離婚経験があっても自分のキャリアに向かってたくましく生きている現代的な女性として描かれていて、今の時代の観客から見ても自分を投影しやすい非常に魅力的な女性だったと思う。娘役トップの潤花さんはため息が出るほど美しく、歌声も素晴らしく、真風ジョルジュに愛されるにふさわしいヒロインだった。

 あとはとにかくコーラスが圧巻過ぎる!「コーラスの宙組」と呼ばれていることを後から知ったのだが、確かにとてつもなく厚みのある歌声と美しいハーモニーで圧倒された。大人数のコーラスが随所にあるのだが、特に市民が反乱軍に立ち向かう場面ではまさに宝塚のスケールメリットを存分に生かした迫力あるコーラスが響き渡り、歌声が敵軍を撃退させる威力となっているような感覚になった。観客は歌の終わりに拍手をするわけだが、戦いの歌の時には、歌に対して拍手を送っているのか、戦いの勝利を称えて拍手しているのか分からなくなるぐらい、歌と戦いが一体になっていると感じた。

 さらには、知人に布教されるままにプログラムもル・サンクなる舞台写真集も購入したのだが、舞台写真が惜しみなく沢山掲載されていて、インタビュー記事も豊富で、何と言ってもル・サンクの巻末に脚本(台本)が台詞とト書き入りで掲載されているのには心底驚いた。歌詞だけでもありがたいのに台詞まで!!道理で宝塚は二世代、三世代にわたって根強いファンがいるはずだ。ちゃくちゃくと沼を製造するシステムになっている…笑

 これまで何となく縁遠かった宝塚だったが、今後も自分の好みの作品があればまた是非劇場に足を運んで宝塚ワールドに浸りたい、そんな風に思えた宙組ネバセイだった。圧巻の舞台をありがとうございました。