えとりんご

観劇の記録。ネタバレご注意を。この橋の向こうにジャコブ通り。

キングアーサー① アーサー×浦井健治

キングアーサー

2023.1-2 新国立劇場
アーサー王浦井健治
メレアガン:加藤和樹、伊礼彼方
ランスロット太田基裕、平間壮一
グィネヴィア:小南満佑子、宮澤佐江
マーリン:石川禅
モルガン:安蘭けい
ガウェイン:小林亮太
ケイ:東山光明

 

 2023年1月、新年初観劇を飾るにふさわしい華やかな作品を見ることができた。タイトルはその名も「キングアーサー」。(観劇された方にはモルガンの声で再生される魔法をかけています笑)
 原作となっているアーサー王物語、円卓の騎士などは、誰しも名前だけは聞いたことがあるのではないだろうか。しかし、肝心の中身はと言うとよく知らない人が多いとも思う。神話なのか物語なのか歴史上の実在の人物なのかさえあやふやだ。しかし、ブリテン王国や中世の騎士、ケルトといった言葉は、歴史のロマンを感じさせてくれる。私は以前に別作品に触れたことがあったので、アーサー王伝説のあらすじを多少知っていた。正直なところ、この伝説のストーリーには感情移入しづらいポイントがあるため、過度な期待は持たずに見る予定だった。ストーリーそのものよりも、フレンチロックなミュージカル、ダンサブルな振り付け、豪華俳優陣が織りなす世界観に胸を膨らませていた。しかし、その予想に反して、ストーリーもなかなかうまくまとまっていたし(ツッコミどころはいくつもあるが)、楽曲や舞台芸術やキャストのお芝居は想像以上に素晴らしく、結果チケットを追加して5回観劇することとなった。(以下、完全にネタバレしていますので未見の方はご注意下さい!)


アーサー

アーサー×浦井健治

 伝説の聖剣「エクスカリバー」を引き抜いたことによって、ブリテン王国の王となったアーサー。一見、何の変哲もない一般庶民として登場したアーサーが難なく剣を引き抜いてしまうため、そんなあっさりと抜けてしまっていいんかい!と突っ込みたくはなった。ちなみに、アーサーを演じる浦井健治さん、冒頭の登場場面ではサイドの髪をとめた茶髪にキラキラした瞳で甘さのある高い声で歌うのだが、とても41歳には見えない可愛さで驚愕した。この時点の無邪気さから、真の王としての責任を自覚するにつれて、表情も声も大人びて低く威厳のある声に変化していくところが非常に良かった。
 あと、声を大にして言いたいのは、華麗なるマントさばき!これまでも浦井さんの舞台はいくつか拝見しており、2022年の笑う男でもマントも殺陣もあったが、本作ではその比ではないほど殺陣の場面が多かったので実に見ごたえがあった。マントは何種類かあったが、特に2幕でガウェインとランスロットが装着してくれるゴブラン織り風の金色の重厚なマント。重そうにも見えるのだが、そのマントを着て剣を斜めにしながら塔の上に登っていく姿は王の威厳たっぷりだった。戦いの場面では、そのマントを華麗に翻しながら疾走感たっぷりの殺陣を繰り広げてくれた。マントがほぼ肩の高さで水平にバサーっバサーっと高速で翻り、エクスカリバーでシャキンシャキンと切りつけている姿は、自分が幻覚でも見ているのではないかと思うような華麗な軌道だった。あのマントさばきを見るだけでも、本作を見る価値はある。

 

アーサー×愛

 完全にネタバレしてしまうこととなるが、この作品におけるアーサーは、主役でありながら実に悲しい運命を負うこととなる。グィネヴィアと出会って将来を誓い合い、最愛の王妃として宮殿に迎えるのだが、その婚礼の日を待たずに王妃は王の腹心であるランスロットに心を奪われてしまうのだ。
 これがアーサー王伝説のストーリーにおいて、致命的に感情移入しづらい点だと思う。男性から見た時には共感できる人もいる(人によってはテンションが上がる?)のかもしれないが、女性でこれに共感できる人はどれぐらいいるのだろうか。アーサー王がまるで愛がなく、欠陥の多い人物であるならともかく、アーサーには欠点らしい欠点が見当たらず、王妃を深く愛しているのだから。ランスロットは確かにいい男だと思うし、これまた非の打ちどころのない魅力的な男性であるとは思うが、だからといって、そんなに短期間にあっちの男性、こっちの男性に心変わりするものなのか…と倫理観を疑ってしまう。
 私はこのブログでもたびたび書いているが、ロマンス物の作品では、とかく男性の魅力に目を奪われがちで、強さ、優しさ、色気などなど、色々な萌えポイントがあるわけだが、それ以上に重要なのは実はヒロインだと思っている。それだけの魅力的な男性に心から愛される説得力がヒロインにないと、そこで命を懸けて戦っているストーリーにのめり込めなくなってしまうからだ。
 その点で、ヒロインのグィネヴィアは美しく可憐で自分の心に正直な可愛さは存分にあるものの、一人への愛を貫き通せないところにどうしても共感できないところがある。運命の出会いだと燃え上がっていたはずなのに、その舌の根も乾かぬうちに初めて出会う男性に一目ぼれするとはこれいかに?!
 とはいえ、これは作品に対する非難というより、伝説そのものの展開がこうなのでいかんともしがたい点ではあるし、私が過去に見たグィネヴィアの中では一番葛藤が表れていたので、一応何とか受け入れることができた。
 しかし、これまた私が過去に見たアーサー王の中では、浦井健治さん演じるアーサーがずば抜けていい男だったので、このアーサーの何が不満なんじゃ!という怒りを感じてしまう結果にはなった。見る前は、何やかんや言ってもランスロットが一番切ない役だろうし、メレアガンの怒りと嫉妬で愛を奪おうとする役どころは悲しくも魅力的だろうと思っていて、アーサーはどうしても人の好さや優柔不断なイメージがつきまとうので、どこか情けなさの漂う人物だと思っていた。しかし、浦井アーサーは少し違っていた。一言で言うと、とんでもない「包容力」を持っていた。
 男性の魅力は色々あって、容姿、筋力などの外見に加え、強さ、優しさ、愛、色気、自信などの内面的な要素も沢山ある。どれが好きかはそれぞれの好みだと思うが、男性の色々な魅力を全て高めていくと包容力になると思っている。逆に言えば、包容力だけを身につけようと思ってもなかなか身につかないものだ。若い男性よりも年を重ねた男性の方が持ち合わせている可能性が高いのも、そういう理由からだと思う。
 客観的に見ると、愛する妻を家臣に奪われてしまう悲しい王なのだが、その妻の罪をも許し、罰は与えず、放免するアーサー。グィネヴィアとの関係のみでなく、モルガンとの最後のシーンもとても心に刺さる展開だった。復讐に燃え、これからも永遠に責め続けると宣言するモルガンに対して、アーサーは殺すでもなく、罰するでもなく、責めるでもなく、全てを許し、包み込み、愛さえ与えて野に放つ。あれはさすがのモルガンも恋に落ちてしまうのではないかと思うほど、慈愛に満ちていた。
 また、ランスロットとの関係で見せる心の動きも非常に良かった。アーサーが途中わずかに心の乱れと戦う場面がある。それは、グィネヴィアとランスロットが通じているのではないかとの情報を耳にする場面。王妃に対する愛もあれば、忠臣ランスロットに対する信頼もある中、その二人からの裏切りに遭うとは、それは当然心中穏やかではいられないはずだ。メレアガンの燃える復讐心を考えれば、アーサーが怒りに沸騰してもおかしくはない。その心情を歌う場面では、他のシーンには見られない荒ぶる感情が見え隠れしていた。中でも「どうか~!グィネヴィア~っっ!!」と苦しげに叫ぶ姿は心が締め付けられた。どうか!までは強い声で歌っているのが、グィネの辺りが絞り出すような声になって、こちらも胸が痛かった。私は何度も言っているが、抑えようとしても抑えられない感情にめっぽう弱いため、この場面のアーサーに思い切り心を持っていかれた。
 その狂おしい思いを抱えながらアーサーが王妃の元に駆けつけた時には、ランスロットがメレアガンに切りつけられて瀕死の怪我を負っているところだった。登場した瞬間、アーサーの血の温度が下がるのが見えた。メレアガンに対する怒りはもちろんだが、アーサーは信頼するランスロットに聖杯を探す命を下したはずで、そのランスロットが聖杯よりグィネヴィアの救出を優先させてその場にいることが全てを物語っている。もちろん王妃を守ることも自分への忠誠の一つではあるが、それ以上の関係を二人の間に読み取ったに違いない。アーサーは厳しくもゆっくりした口調でランスロットに告げる。「王妃の拘束を…解いてやれ。」ランスロットは絞り出すような声で返事をし、よろめきながら王妃の縄を解く。もう動くことすらままならないランスロットになんちゅう無茶をさせるんだ、罰でも与えてるのか、という感じではある。しかし、一連の戦いが終わった後、アーサーはグィネヴィアとランスロットを置いてその場を立ち去る。ここで拘束を解く場面がフラッシュバックするのだが、あぁ、アーサーは王妃を守るために全力で駆けつけたが、その役目を果たすべきは自分ではなく、ランスロットだと瞬時に確信してしまったんだなと。そして、ランスロットに残された最後の時間をグィネヴィアと過ごさせて立ち去ったのかと。さながら、バージンロードを共に歩いてきた娘を新郎に引き渡す父親のような哀愁があった。「どうか!グィネヴィア~…っっ!」の絶叫がリフレインして息苦しくなる。
 グィネヴィアとの夫婦関係、ランスロットとの信頼関係の崩壊を考えると哀しくなるが、ともすると不甲斐ない優柔不断な王と映りがちなこの役を、これほどまでに魅力的に演じた浦井健治さんに改めて脱帽した。

アーサー×王

 妻に家臣に愛に裏切られ、マーリンに救いを求めて声なき慟哭を見せるアーサー。アーサーが幼子のように大きな口を開けて泣く姿は辛いが、全てを感情におもねることはなく、最後には理性でもって立て直していた。俯いた顔を上げ、口を閉じてゆっくりと立ち上がる。目は光を失ったようでもあり、光を宿したようでもあった。あの瞬間に個人アーサーは消え、新たに王としてのアーサーが立ち上がったのだろう。
 騎士たちがグィネヴィアを非難する中、「口を慎め」と諫めた上で、「全ては運命の仕業 誰も悪くない」「私にも罪はある 繋ぎとめられなかった」と歌うアーサー。これはいかん、これはいかんよ!切なすぎる。妻の心変わりと家臣の略奪愛を聞いて、あれほどまでに狂おしく愛を叫んでいたのに、そのことで本人たちを責めるのではなく、妻からの愛を保ちきれなかった自分自身のせいにする…だと?いやいやいや。アーサーは悪くない!と叫びたくなるし、やっぱりグィネヴィアは火あぶりだ~と言いたくもなるが、それでもアーサーは許すのだろうな。なんという器の大きさ。
 前半に「憎しみは次の憎しみを生むだけ」というマーリンの台詞があったが、後半にアーサーが全ての憎しみを赦しで解放させている。そんなに全てのことがうまくいくわけでもないだろうが、憎しみの連鎖を断ち切るために必要なのは、苦しみもがいた末に赦す勇気なのだと気付かされた。それは弱いことでも情けないことでも不甲斐ないことでもなく、何よりも誰よりも強さがないとできないことなのだと。
 最後の渾身の演説には心が震えた。毎回一言も漏らすまいと聞き入っていたが、私の記憶力では5回の公演でも全てを覚えきることはできず、曖昧かつ断片的な内容となっていることをご了承いただきたい。

 運命は天が決める
 だが選択するのは人間だ
 その選択の結果起きたことを誰も裁くことはできない

 人間は結果を知らずに多くの選択をする
 それは人間に与えられた罰であり権利だ

 そしてこの国の民のために生きると宣言する王。冒頭の無邪気な青年だったころを思うと、最後には見違えるほど立派な王として成長するアーサー。もしかすると、それは成長というよりも、無邪気さと引き換えに国王としての責任を受け入れるしかない重い十字架なのかもしれない。だがしかし、運命に導かれた人生を全うし、自分のやるべきことを受け入れ、国と民と家臣たちを思う心は海よりも広く、その後のブリテン王国に幸あらんことを願わずにいられなかった。
 全てをかなぐり捨てて愛や夢や希望の感情に委ねる選択に心揺さぶられることもあるが、現実ではそうはいかないことも多い訳で、愛や夢を断ち切って自分のやるべき任務のために自らを律する姿も実に高潔で神々しい。ラストシーンで騎士たちの真ん中で堂々と立つアーサー王の姿には後光が差して見えた。愛に生きた男ではなかったかもしれないが、国と民のために生きた男――。この国の民のために!と力いっぱい両手を広げる姿を見ると、観客もブリテン王国の民となったような気持ちになり、我らのために全てを捧げて王となったアーサーにひれ伏したくなった。ビベレ ロイ アーサー!

 

(次回に続きます。)

 

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