オーファンズ感想第3弾です。
ネタバレ注意です。
ハロルド×村井良大
正直なところ、今回のブログは②で終わりにしようと思っていた。なぜなら、公演期間中、私の中でハロルドについて咀嚼しきれていない部分が多く、感想としてまとめ切れないなと思っていたからだ。千穐楽後に徐々に理解が深まってきた。個人の感想なので、全く違った解釈かもしれないが、何卒ご容赦いただきたい。
善人か悪人か
初回の感想としてはこれに尽きる。「父性」という言葉をちらっと見かけたので、愛のある人物なのだろうと予想しながら見たが、登場から胡散臭さは否めないし、危ない橋を渡っていそうだし、夜の散歩の場面ですら、まさかこのままフィリップを連れ去ってしまったらどうしよう・・という不安もなくはなかった。なので、ハロルドの愛情をちゃんと受け止められたのは2回目以降だった。一度きりの観劇の人も多いと思うので、皆さんがどのようにハロルドの愛の深さを実感できたのか、気になるところではある。
父性
ハロルドで考えさせられるのは「父性」。これに対する言葉はもちろん「母性」。子供を導くという意味では同じだが、父性と母性はどう違うのか、改めて考え込んでしまった。
最近は男女平等が叫ばれ、家事や仕事のみならず育児の領域においても夫婦の分担の平準化が実現しつつあるので、父性と母性というものが変化していると感じる。何が変化しているかというと、従来は本能的にも社会の役割的にも、男親が父性を担い、女親が母性を担っていて、文字通りの役割分担となっていたのだが、現在は、父母ともに父性と母性の両方を少しずつ分担して担うようになっているのではないかということだ。
そもそも、父性と母性とは何だったのか。
端的に言えば、母性は愛情を注ぎ、守り育てる役割であり、父性は社会性を養い、挑戦を促し、自立へと導く役割だと思う。振り返れば安心して戻れる基地(母性)があるからこそ、崖から突き落とすような果敢な挑戦を経験させ、自ら這い上がる力を養うことができる(父性)。変化していると言ったが、担うのが父親か母親か二人ともかが変わっているだけであって、子供を育てるにあたって、両方の要素が必要であることは変わらない。
ハロルドが担っているもの。それはもちろん父性だが、根底に母性もある。特にフィリップに対しては、慈愛に満ちた温もりを教えている。そのうえで、マナーや身だしなみを教え、外の世界が危険ではないこと、一人で外出するために必要な情報として、地下鉄の乗り方や地図の読み方、地図の入手方法を教える。
トリートに対しては、ボディガードという仕事を通して社会との接点を作り、少々危険を経験しながらも、世の中での立ち振る舞い方、経済の仕組みを教える。そして、トリートが抱える特有の問題行動についても根気よく指導してみせる。それはアンガーマネジメントだ。トリートがすぐにカッとなって暴力に訴えてしまう性質を見抜き、その暴力を正当化しようとする彼なりの論理を、一つずつ諭していく。
教育
父性とも連動するのだが、ハロルドの兄弟たちへの接し方を見ると、教育のあり方を考えさせられる。教育とは、答えを教えることではなく、考え方を教えることなのだと。ただ手を引くだけでも目的地に到着することができるが、地図を渡し、地下鉄の乗り方を教えれば、どの目的地にも自由に行けるようになる。カッとなって情動的に行動するのではなく、自分の行動がその後どのような影響を与えるか考える習慣をつけることによって、理性で考えることができる。
まさに、知は力なり。
と口で言うのは簡単だが・・、よくよく考えてみると、冒頭の壊滅的な状態の兄弟を見て、標準レベルに引き上げることができると思えるだろうか。2人ともどこから手を付けていいか分からないほど、基礎的な素養が欠落しているではないか。報酬を出すと言われても、教育係を務めるのは至難の業だ。それを、誰に頼まれたわけでもないのに、面倒を見て金銭的な援助もする。みるみるうちに二人とも成長していく。・・一体、このハロルドという人物は何者なんだ??
ハロルドの思い
ハロルドがこの兄弟の家にやってきたのは、ただの酔っぱらった挙句の偶然だ。なのになぜ長期間滞在したのだろうか。追手につかまりそうなことも予測しながら、なぜ街から逃亡することもせず、兄弟達の家に居座り続けたのだろうか。結末を知ったうえで見直してみると、身代金目的でトリートはハロルドの関係者達に電話をかけている。急にスーツを着るなど、羽振りが良くなっているし、バスの乗客とトラブルを起こすなど、目立った行動もしているので、不審がられてトリートもハロルドも居場所を特定される恐れもある。ハロルドこそ家から出ずに安全な場所に身を隠しておかなくてはならない境遇だったのではないか。なのに、フィリップと夜の散歩に出ていく。案の定、外に出てみたら後ろから後をつけられ、命を狙われてしまった。そんなことはハロルドなら予測できただろうに。なぜそんな危険を冒したのだろうか。
孤児院で一緒だったフレッドのエピソードを思い出す。ほどほどにって言ったのに、ついわきまえず、最後の新聞まで売っちまって、寒さで肺炎になって死んでしまった。でも、でっかいドイツ人には一人で食らいついていって、そのおかげで沢山の孤児が救われた・・(ちょっと最後の話が聞き取れず、あやふやです)。あの話は何の話だったんだ?縁もゆかりもない孤児の話を死の間際まで聞かせるハロルド。兄弟たちにもう少しヒントを授けてやってほしい。
ハロルドは孤児の悲惨な行く末を知っていた。病気、飢え、貧困・・孤児はすぐにコロッと死んじまうからな。ハロルド自身はどんな努力をしたのか分からないが、貧困から脱却し、飢えや病気の心配からは免れた。ただし、命の危険とは常に隣り合わせ。そういう危ない仕事で生計を立てるしかなかった。お金があるから幸福かと言えば、そうとも限らない。シカゴを追われて逃げ延びるうちに、どこかで命運つきることも覚悟していたのだろうか。俺の人生、どこで間違っちまったんだろう、まぁ最初から全て間違っていたんだが、と嘲笑するハロルドが思い浮かぶ。俺としては頑張ってきたよ。でもまぁ、ほどほどにしときゃ良かったのに、ちょっと欲出してほどほどを超えちまったんだな。もう残された時間は限られている。命がなけりゃ、金なんぞいくらあっても意味がない。・・なんてことを考えていたところに出会った孤児の兄弟たち。昔の自分や孤児の友達を2パターンに擬人化したような兄弟。一人は凶暴で理性のコントロールが効かない兄。もう一人は弱くて閉じこもって外の世界を知らない弟。この二人が他人と思えなくなったのだろうか。自分がでっかいドイツ人を食い止めている間に、外の自由な世界に二人を解放して、確かな未来を与えてやりたい。そう思ったのだろうか。ただし、今のまま放り出してもすぐ行き倒れてしまう。時間がまだ残されているうちに、自分で自分の未来を切り開いていける力を授けてやらなければ。マナー、知識、自立心、社会性。答えではなくアプローチを。結論ではなくヒントを。俺がでっかいドイツ人を食い止めている間に。食い止めているでっかいドイツ人・・それは孤児にしつこくまとわりつく飢え、貧困、病気、偏見、つまり不幸の集合体。
幻影
物語の時間軸が不明だが、ハロルドが現れてから消えるまでほんの数週間の出来事だったのだろうと予想する。人を信じていなかった兄弟たちの前に、せっかく信用できる人間が現れたのに、またしても消えてしまった。自分たちを置いて去った父や母やそのほかの親戚友人と同じように。でも恐らくハロルドは違う。彼らの心に残ることだろう。ママとは違う意味で残るはずだ。
例えばフィリップが赤い靴やガウンを抱きしめてママを思い出すのは、幼児期の微かな温もりや美化された母親というものに対する憧れだろう。でもハロルドは、恐らく自分の中の道しるべとして残っていくと思う。フィリップは、自信が揺らいだ時、新しい一歩を踏み出す時、自分の意見を主張しなければならない時にハロルドの言葉を思い出すだろう。トリートは、怒りがこみ上げたとき、自分の主張を飲み込んで全体を優先しなくてはならない時、振り上げた拳を降ろせなくなった時、ハロルドの「どうする?」が耳に響き渡ることだろう。
頼るべき人が目の前にいない、という事実は同じなのだが、心の中にハロルドがいることは二人の未来を全く変えていく。常にハロルドに助言を請い、ハロルドに尋ね、正しい道を導いてもらえるのだから。
日本とアメリカでは異なるが、日本的な考えでいくと、亡くなった人は仏様になる。つまり、これは、亡くなって仏様になったハロルドに語りかけているといったようなことだ。道を踏み外すと、ハロルドに叱られたり、裏切ったりしているような気になることだろう。守ってくれる存在でもあり、導いてくれる存在でもあり、見張られている存在でもある。神様、仏様、ハロルド様・・・。でもそういう時自分は一体誰に語りかけているのだろうか。それは、取りも直さず自分自身なのである。生きているときは、ハロルドに見られていなければバレずに済むかもしれない。でも死んでしまった相手からは隠れようもない。ハロルドは自分の心の中にいる、つまり、自分自身なのだから誤魔化しようがない。きっとあらゆる局面で、兄弟たちは自分の胸に手を置き、正しい道を尋ねるだろう。ハロルドだと思い込んでいる存在を道しるべとして。その正体は自分自身の精神なのだが、そいつがでっかいドイツ人を食い止めて正しい道に導いてくれる。食い止めているでっかいドイツ人・・それは孤児にしつこくまとわりつく飢え、貧困、病気、偏見、つまり不幸の集合体。不幸になんか負けるな。自分の知の翼を羽ばたかせて不幸を食い止めて、自分の二本の足でしっかりと乗り越えていけ!
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繰り返しとなるが、これは私の勝手な解釈である。恐らく、ハロルドについては一番色々な解釈ができると思う。誰しもが誰かの子供だったり親だったり指導者だったりするわけで、そのどれかの目線からハロルドを投影して見ていたり、逆にこう接すればよかったという悔恨を感じたりするのではないだろうか。私も、自分自身が子供に対してハロルドのように接してこれただろうか、とか、子供の中にハロルドはいるだろうか、などと考えてみた。自分の中に母性はあっても父性が足りない、日頃からそう痛感することは多い。私だけではないと思う。ジェンダーレスのこの時代、父母ともに父性も母性も担うとなると、父性が圧倒的に不足しがちだと日々強く感じているので、父性とは何なのかということについて改めてとても深く考えさせられた。
村井良大さん、愛情溢れるハロルドをありがとうございました!
そして全3回にわたるオーファンズの感想はこれにて完結。色々な視点から考えさせられる良質な作品に出会えて、とても贅沢な気分を味わえた。音楽や舞台美術が創り出す世界観も美しく、また何度も出会いたい作品となった。長文を最後までお読みいただき、有難うございました!