えとりんご

観劇の記録。ネタバレご注意を。この橋の向こうにジャコブ通り。

未成年 〜抱きしめ合った軌跡〜

サブタイトル:
純政沼、外から見るか中から見るか

 ドラマ「未成年」を取り巻く現実世界において、3月4日に起きたことについて以前書いたが、今回はそれ以降のことを振り返ってみたい。主に本島純政君について書くこととなる。意図はしていないが、結果的に沼落ちの記録になるかもしれないという恐れを抱きつつ書き始めてみる。発生した出来事や発信内容をいくつか時系列に並べながら、その時々の感情の変化をなぞってみたい。この4か月を一言で振り返るならば、「事実は小説よりも奇なり」ということだ。
(なお、伏せる必要があるか不明だが、文中では彼のことを「K氏」と呼ぶ。)
(日付などに不正確な部分があるかもしれないが、ご容赦いただきたい。)(敬称略)

3/4 22:00
事務所からの通知
K氏のSNS遮断 X、インスタなど

3/5
「未成年」ファンミーティング中止決定

3/6
純政ストーリー「この悲しい気持ちを作品を愛してくれているみんなで抱きしめ合いたいです」

 2025年界隈流行語大賞 伝説に残る名言
 この言葉に何度支えられたことか。界隈が空中分解せずに堪えていけたのは、紛れもなく、純政のこの言葉があったからだと思う。

3/9-11
純政SNS
舞台挨拶、撮影
海での撮影

 この辛い心境の中でも仕事をこなさなければならない健気な姿に感動もしたし不憫にも思った。

刊行予定の雑誌も発売中止/保留などが相次ぐ

 円盤の発売も絶望的だと思った。
 FODも視聴できなくなると思った。朝起きたら視聴できなくなっているのではないかと思い、毎朝開くのが怖かった。

3/10
月曜日の投稿  

「未成年」やK氏の文字はどこにもないが、ゆかりのある映像に感涙

3/17
まっちゃ
もうないと思っていた月曜日の投稿

ゆかりのある写真に感涙

3/24
まっちゃ
もうないと思っていた月曜日の投稿

ゆかりのある写真に感涙

‥‥以下、永遠に続く。
お前、なんでここまでするの?!?!
嘘でしょ!絶対にもうないと思っていたのに。
というか、続けなくても誰も責めたりしないのに。
このままだと終わりにするタイミングがなくなってしまって、義務感のようになってしまいそうだけど大丈夫だろうか。

相変わらず続く月曜日の投稿

 どのような思いなんだろう? ファンの悲しみに寄り添ってくれているんだろうか。なんて愛に溢れてるんだ。
 と思う一方で、これは純政がやりたくてやっているのかもしれない。 純政の「未成年」への愛が強くて、他に思いを共有できる場がなくて、ここに出しているのかもしれない。それならば全力で受け止めたいから、いつまでも送り続けてくれたらいい。

4/6 水無瀬仁誕生日
日付が変わった直後にSNSに写真アップ
X、インスタ、サブスク

 K氏だけでなく「未成年」そのものがNGワードっぽくなっているような雰囲気の中で、日付更新と同時に水無瀬仁の誕生日に向けたメッセージを発信する純政に衝撃を受けてしまう。

4/7 ワンエンオンリーのメジャーデビュー発表

 感情ジェットコースターはどこまで続くのか。

相変わらず続く月曜日の投稿

 もしかしたらこれはファンと思いを共有しているだけではなくて、K氏への思い、K氏へのメッセージでもあるのかもしれない。写真そのものもとても素敵だが、恐らく写真1枚1枚にそれを撮った時の会話やエピソードなどもあるだろう。彼らにしか分からない思い出もあるはずだ。その思いも乗せて投稿しているのかもしれない。
 K氏がまっちゃを見れる環境にあるのかどうかは分からないが、言葉にできない熱い思いや思い出や祈りが込められているような気がしてきた。

 だんだん月曜日の投稿は、ずっと続くのではないかという気がしてきた。もうどんな思いが込められていてもいい。出されたものを出されたまま愛でる。そんなオタクに私はなりたい。

4/15 K氏初出廷日
あの日以来1か月半ぶりとなる動く映像

4/15 あみゅプラ

4/21
フォトブックeverything flows発売決定
お渡し会開催決定

「今のありのままを撮影してほしい」
あの直後のありのまま?原石に触れていいのか、という畏れを感じてしまう。

5/2
未成年DVD・Blu-ray発売決定
特典発表(水の音リバーシブルジャケット、蛭川の手紙レプリカ)

5/10
ワンエンオンリーの武道館コンサート
リーダーの挨拶

5/30
お渡し会前日インスタライブ

5/31
お渡し会(東京)

「未成年」やK氏の話題には触れずに、ただ純政に感謝と応援を伝える場だと誰もが必死に言い聞かせながら参加している様子だったが、会場のBGMにワンエンオンリー、SAVIOR、花瓶がかかっていたり、「未成年」やK氏のことに触れても受け入れてくれる純政。もはやファンの方が混乱するほどの愛。

6/7
お渡し会(大阪)

ゲリラインスタライブ

6/13
フォトブック到着

 私はグッズを持たない主義の人間だ。このブログを辿っていただく方がいれば分かることだが、私には長い期間愛して通い詰めているジャンルが別にあり、その中で推しと呼べる作品も俳優もいる。最推し作品はDVDを持っているが、それでもグッズなどは買わず、俳優のアクスタや写真等も買わない。作品と登場人物が好きなのであって、リアルな世界のグッズにはそれほど関心がないからだ。

 なのに!
 私はなぜかフォトブックを注文していた。気づけば予約開始時間にスマホを準備し、発売開始と同時にサイン入りフォトブックを予約購入していた。こびとの仕業に違いない。

 正直、私はずっと全力で抗っている。純政沼に落ちないように。私が落ちてはいけない沼だと思うし、元々は私が惹かれるタイプとはかなり違うと思っているし、絶対に落ちるわけないんです!!
と思っているのに、ものすごい勢いで強力に引きずり込まれる感覚があり、これはもはやブラックホール並みの引力だと感じている。
 最近は「推し活」という言葉がもてはやされ、若い子の中には、周囲が推し活で楽しそうなのに、自分には推しがいなくて寂しいから、推しを作るにはどうしたらいいですか?みたいな悩みを相談する子がいるらしい。
 何をふざけたこと言ってんだ!と説教したい(迷惑)。推しというものは作りたくて作るもんではない。むしろ、全力で否定するところから始まるもんだ。生活に支障をきたすレベルで、寝ても覚めてもその人のことしか考えられなくなって、おかしい、自分はこんな非日常の人間にハマるようなタイプではない、絶対にそんなはずはない、という全力の抵抗から。
 私はまさに推し活とは無縁の人間だと思っていたのに、数年前に人生初めての沼落ちを経験し、それが直滑降すぎて本当に息もできないほどもがき苦しんだので笑、それ以降、分かりやすくぽっかり穴が開いているようなところは慎重に慎重に落ちないように落ちないように沼を避けて歩いているようなところがある。だが、大抵、沼と言うのは避けようと思って気を付けている時に、その隣にある見えない穴に両足ごとズボーーーっと引きずり込まれるように落ちるものでもある。
 未成年を平和に見ていた2月頃は、純粋に作品と蛭川と水無瀬を愛していただけだったのだが、3月4日以降の非常事態に巻き込まれているうちに、気づけばこのとんでもない沼に腰くらいまで引きずり込まれていて、誰か助けてくれ!このまま流されるわけにはいかないんだよ!という状態が何か月も続いている。

 そんな中、自分の中のこびとが勝手に頼んだフォトブックが到着した。3月11日には撮影していたのだから、例の事件が起きた直後の表情というわけだ。この10日ほど前は香港でイベントがあり、そこで映し出されていた表情は幸せと笑顔に満ちていた。わずかな期間で天変地異と言っていいほどの変化があったわけで、その真っただ中にある表情を見るのは勇気が必要だった。思ったよりは直視できた。が、やっぱりいつもの彼の表情とは違う。ところどころ、この写真は誰?と思うほど、いつもの表情と違う写真もあった。沢山悲しんで苦しんで泣いたのだろうかと胸が苦しくもなった。こういう時の自分を写真に残すというのはどういう心境なのだろう。そこはやっぱり表現者なんだなと強く感じた。自分だったらできるだろうか。悲しく苦しい出来事に直面した時の自分を写真に残すこと。むしろ記録に残らないように避ける気がする。でも、残してもいいのかもしれない、とふと思った。悲しみが続くうちは写真を見ることもできないが、いつかその悲しみを乗り越えて写真を見られる日がきたら、どん底にいた自分に対してよく頑張ったねと、この時よく踏ん張ってくれたねありがとうと直接声をかけられるかもしれない。


 フォトブックに関しては、この時期の表情や感情を永久保存することも目的だったのかもしれないが、もうひとつ、発売イベントを開催することでファンと直接対面で会う機会を設けることが目的だったのかもしれないと思ったりもする。「未成年」のイベントが中止になってしまい、表向きにはなかなか「未成年」やそれを取り巻く出来事について話すことも難しい中で、東京と大阪で一人一人言葉を交わす様子を見聞きすると、敢えてこの機会を作り出してくれたのかもと感じた。
 お渡し会の直後にはなんとインスタライブもあった。申し込んでもチケットを入手できなかった人、様々な理由で行けなかった人にも声を届けてくれたということかなと。 あまりの供給の多さに毎回動揺するのは私だけではないだろう。この辺が常識だろうと思っている俳優とファンのラインを常に大きく超えて愛を発信してくるので、こっちの常識が間違っているのか??と混乱する日々だった。

 3月に「悲しい気持ちを抱きしめ合いたい」という発信があった時。その気持ちを発信してくれただけで十分だとみんな思ったんだよ。その発信すら、何らかのタブーに触れている可能性もあったぐらいで、その気持ちを伝えてくれることだけで十分すぎるほど十分だったんだよ。その言葉が24時間後に消える時に、同時に過去の写真が全部消えてしまったとしても受け入れるしかないと思っていた。そうなる前の最後のメッセージだと覚悟もしたし、そのメッセージを胸に抱きながら、一人一人がそれぞれの場所で悲しみを乗り越えていくということだと思っていた。まさか、「悲しい気持ちを抱きしめ合いたい」がこんなにも強く長く、一緒に抱きしめ合うことだなんて全く思ってなかったんだよ。 過去を消しもせず、さらに新しいものを抱きしめさせてくれるなんて全く思っていなかったんだよ。

 3月4日のあの日から、みんな大混乱の中にいて、K氏が好きでグループが好きで純政が好きで「未成年」が好きで、みんなみんな大好きなだけなんだけど、その愛が時々ぶつかり合って疲弊してしまうこともあった。わざわざこんな苦しい場所にとどまる必要なんてあるのか、と思ってしまうこともあった。学校や職場じゃないんだから、苦しければさっさと離れてしまえばいいのに、離れることもできず傷ついてしまうこともあった。そのたびに純政が救いに来てくれた。本人が救っている自覚があるかどうかは分からないけど、とにかく多くの人が救われていた。好きでいていい、好きでいていいんだよと、ただそれだけを繰り返し言ってくれるようだった。

 月曜日の投稿、純政が発信したいメッセージがあるなら続けてくれたらいいけど、義務のようになっては本末転倒だし、いつ終わりにしてくれてもいいと思っていたし、過度に期待してはいけないと言い聞かせていた。でも、この時期は月曜日の投稿を励みにするようになってしまっていた。月曜日に心が救われても、週の途中で傷ついてしまうことが増えて、次の月曜日まで心が持たないことも多くて、月曜日の投稿まで何とか頑張りたいと思ってしまうこともあった。こんなに依存してしまって申し訳ないと思いつつも、月曜日の投稿を見てはパワーを充電していた。だいぶヤバいところまで来てるなぁぁ…と頭を抱えながら。

6/24
未成年DVD・Blu-ray発売(フラゲ

6/25
未成年DVD・Blu-ray発売

SNS更新
「未成年」という言葉が久しぶりに公に
けんしん
蛭川晴喜

6/30
顔出しなしのインスタライブ
タイミング

 私はブルーレイを買うつもりはなかった。FODを毎日見ているし、諸事情あって家で「未成年」を再生することはしないだろうから。手紙レプリカの特典なども素敵だなと思うものの、元々グッズに惹かれるタイプではないのでなくてもいいやと。

 なのに!!(2回目)
 発売の前の週になって注文した。今回はこびとではなく、明確に私の意思で注文した(フォトブックもお前の意思だわ)。きちんと自分の心に向き合ってじっくりまじめに問いかけてみた。もしFODで見れない日が来ても後悔しないか、メイキング映像が見たくないか、まだ世に出ていない二人の映像を見たくはないか、発売が危ぶまれるほどの逆境のなか満身創痍で届けてくれる制作者の思いを受け取らずにいられるのか。一番はメイキングが見たかった。この作品がどのような過程を経て、どのように愛を注がれて私たちの元に届けられたのかを知りたいと思った。
 私はブルーレイなども普段買わない主義だ。一切買わないわけではないが、よほどのことがないと買わないので、最推し作品くらいしか手元にないのだが、そこに未成年が並ぶことになった。ドラマ作品のものを買うのは生まれて初めてだ。
 今のところメイキング映像しか再生していない。そこから出られそうにない。この頃の幸せに満ちた笑顔と現状との落差に胸が潰れそうにもなるが、やはり買った甲斐はあった。とにかくクランクアップ映像が全てを物語っている。これが全てだろうと。我慢して我慢してずっと口にしてこなかった思いが込み上げてしまって、それでも歯を食いしばって口には出さずにおくが、代わりに涙が溢れてしまう。君も同じでしょう?

7/4
ちるちる大賞発表
作品賞、俳優賞(受け役)、主題歌賞で未成年三冠
蛭川晴喜という存在

 三冠おめでとうございます!素晴らしい!!これだけの逆境の中で、ある時期から広報も制限される中にあっても、作品がこのように評価されたことは作品のファンとしてもとっても嬉しい!
(ここはちょっとだけネガティブなことも書くので、読みづらい方は読み飛ばしてください。)
 私は2月の平和だった時期に、少し感じていたことがあった。当時は、デジタル写真集の発売を控え、国内外ファンミーティングの開催が次々と決まり、海外アワードの受賞もあり、もしかしたらシーズン2や映画の制作もありうるかもと思うほど、作品への注目が高まっていた。二人の絆もさらに深まっているようで、この勢いはどこまで続くのかなと思うほどだった。もし、この先少し壁があるとしたら…と私が懸念していたのは、何らかの賞でどちらか一方だけが受賞するようなことがある時かなと思っていたのだった。それは私が普段見ているジャンルでも歴史や重みのある賞が様々あるので、Wキャストを演じる一方の役者だけが受賞することもよくあることで、芸の道は厳しいなと普段から感じていたからだった。
 このような形で一方だけが受賞することになるとは全く予想だにしなかったが。関係者もファンも、作品の受賞は彼の功績でもあるし、何事もなければ彼も受賞候補になりえたのではないかと思っていると思う(もちろん受賞者には最大のリスペクトを送りたい)。私たちは、彼もこの栄誉を喜ぶ側の人間だと思っていて、この喜びが彼に届けばいいなと思っている。でも彼はどう思っているんだろうとふと考えてしまう。グループが輝かしい夢に向かって羽ばたいていること、それに対して少し切ない気持ちを感じてしまうのと同じ痛みがふとよぎる。彼も一緒に輪に入って喜びをわかち合う日が来てほしいと思っているが、客観的に見ると、自分以外の世界が輝かしい未来に進んでしまったようにも思えて。
 2月に私が少し不安に感じていたこと、それが全然違う形で現実になってしまったことをちょっとだけ複雑な気持ちで見ている。作品が目に見える形で評価されたことはもちろん飛び上がるほど嬉しいのだが。いや、それは私の思い過ごしだろう。K氏もきっとこの素晴らしい評価を喜んでいるだろう。自分がその一翼を担ったことも誇りに思っていてほしい。いつかきっとまた違う形で一緒に喜びを分かち合える日が来ることを願っている。


 この一連の出来事が起きてからずっと、私たちまで「未成年」の世界線の中に紛れ込んでしまったような気持ちでいる。蛭川が突然消えたあと、5年間彷徨い続けた水無瀬の感情を追体験しているようなそんな錯覚に陥る。もちろん現実とドラマを混同するつもりはないのだが。でも、残された水無瀬の感情はより深く理解できるようになったし、待ち続けた強さに感服するところもある。
 しかし、最近は蛭川の気持ちもよく理解できるようになった。

俺とはあまりにも違うお前が俺には特別すぎて
すごいやつに見えた
そんなお前に釣り合う人間になりたいと思うようになった
そんな気持ちにさせてくれてありがとう

 これは蛭川が水無瀬にあてて書いた手紙の一節。私はこの感情を今、純政に対して抱いている。これほどまでに、愛を真っ直ぐに深く強く発信し続けることにただひたすら尊敬の念を抱いている。迷いなく真っ直ぐに。大人の事情も多々あるなかで、何かとぶつかって戦うわけではなく(戦っているかもしれないが)、言い訳したりごまかしたりせず、ただシンプルに自分が好きなものを好きと伝え続けるひたむきさに感動してしまっていて、直視できないほどの眩しさを感じる。
 ここまで人の思いに触れて、心動かされたのは久しぶりだなと思っている。しかもまだ二十歳という若さなのに。
 私は自分も結構愛が深い方だと思っていたが、バランスを取ってしまう人間でもあるので、いきすぎるとブレーキを踏むし、周りを見て言いたいことを引っ込めてしまうこともある。相手がどう思うか、周りがどう捉えるか、いきすぎると却って愛するものを困らせてしまうのではないか、違う考えがあることもリスペクトしたい、今はそっとしておくべきなのではないか、言わなくてもきっと分かるはず…。ついついそうやってバランスを取ってしまうものだと思う。それが大人なのだと。おとな………(cv水無瀬)
 純政を見ていると、いかに自分の心が薄汚れてしまっているかを痛感する。ピュアさを失っていることを痛感させられる。バランスを取ろうとするのは、つまり、周りの人やそれによって傷つく人やそのことで責められる自分を守ろうとしているからだ。もちろんそれが愛する人を守るためでもあるんだけど。でも彼の場合はそうではなくて、真っ直ぐに愛するものに愛を発信している。周りのあれこれではなくて。一番大事にしたいのはどっちなのか、と突きつけられるような気持ちに何度もなった。それでいて、周りの人も愛する人も傷つけていないのは、彼の人柄によるものなんだろうなとこれまた感嘆する。
 もう薄汚れてしまった大人なので、純政のように汚れなくピュアに真っ直ぐに愛を届けることはできないかもしれないし、釣り合う人間になりたいと言うことすら恐れ多くて言えないが、せめて彼や彼の愛するものを傷つけたり邪魔したりすることのないように、ファンだと名乗っても恥ずかしくないように、心穏やかで清らかな人間になりたいと思うようになった。そんな気持ちにさせてくれてありがとう。

 まだまだ壮大な「未成年」スピンオフシリーズは結末が見えない。悲しみも苦しみも辛さも大きくて、幸せと喜びも知ってしまっているだけに落差も激しい。短期間でここまで感情が揺さぶられる経験はあまりない。でもその初めて経験するような極限の状態の中で、人が必死に愛を届けたり慰め合ったりする姿に触れることができた。こんなAIだとかロボットだとかに置き換わるような、人間関係が希薄化する時代に、人の心が動かす力に改めて感動する日がくるとは思わなかった。冒頭で「事実は小説よりも奇なり」と書いたが、「事実は小説よりも奇跡なり」と感じている。それほどまでに沢山の奇跡を目撃していると思う。この物語にどのような結末が待っていようとも、最後まで見届けたいと思っている。この光景に出会わせてくれてありがとう。

 …そして誰か教えてほしい。ここは沼の外ですか?中ですか?
 私は往生際が悪いので、多分ずっと沼じゃない沼じゃないと抗い続けながら過ごしていくと思う。さすがになかなか認めるわけにはいかないので。当分出られそうにないし、抗いながら引きずりこまれることが楽しくなってきているのでかなりの末期症状だなと頭を抱えている。そんなわけで、沼じゃないはずの美しい水の中に肩までつかりながら、二十歳の若き天才の活躍をこれからも見守っていきたい。

 

***

長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

以下はドラマ「未成年」の感想・考察です。

「未成年」①→未成年① - えとりんご
「未成年」②→未成年② - えとりんご
「未成年」③→未成年③ - えとりんご
「未成年」④→未成年④ - えとりんご
「未成年」⑤→未成年⑤ - えとりんご
「未成年」⑥→未成年⑥ - えとりんご

以下はドラマのことではなく、現実世界で3月4日に起きたことについて書いたものです。
未成年〜3月4日のこと〜→未成年 〜3月4日のこと〜 - えとりんご