えとりんご

観劇の記録。ネタバレご注意を。この橋の向こうにジャコブ通り。

ベートーヴェン

(ネタバレご注意下さい。)


2023.12 日生劇場
ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン井上芳雄
トニ:花總まり
フランツ:佐藤隆紀、坂元健児
ベッツィーナ:木下晴香
ヨハンナ:実咲凛音

 

 ミヒャエル・クンツェ、シルヴェスター・リーヴァイの黄金コンビによる新作ミュージカル「ベートーヴェン」の日本初公演。クンツェ・リーヴァイと言えば、ウィーンミュージカルの巨匠で、何と言っても「エリザベート」「モーツァルト!」の超大作が有名であるが、他にも「マリー・アントワネット」「レディ・ベス」など、数々の人気作品を生み出している。その待望の新作「ベートーヴェン」が日本でも上演されることとなり、しかも主要キャストが井上芳雄さんと花總まりさんとあって、否が応にも期待が高まった。チケットは大激戦だったが、何とか3回の観劇に恵まれ、また、アーカイブ付きの配信も購入し、ベートーヴェンの曲で1週間を過ごすという格調高い年末を過ごした。
 なお、本作については、ベートーヴェンクラシック音楽に対する基礎知識の水準によって見る人の受け止め方が異なるように思うので、観劇前の私自身の知識レベルを紹介しておきたい。ベートーヴェンの生涯で知っていることは偉大な作曲家で、聴覚を失ったという程度。楽曲について、メロディーを聴くだけで題名まで分かるものは、「運命」「第九」「月光」「エリーゼのために」。「田園」や「悲愴」は聴けば知っているなという程度だった。(以下はネタバレを含みます。)

 

井上芳雄×ベートーヴェン
 今やミュージカル界を代表する俳優、井上芳雄さん。これは私の自慢なのだが、私が初めて芳雄さんを舞台で見たのは、なんと「エリザベート」のルドルフ皇太子!そう、あの鮮烈なデビュー作を帝国劇場で目撃していたのだ!家族に連れられて初めて東宝エリザベートを見に行き、黄金期にあった山口祐一郎さんトートの美声に圧倒されていたところ、フラっと出てきた若者風の俳優さんが(失礼!そのように見えたんです)、突然とんでもない歌声で歌い出した。私は全くの観劇初心者だったが、帝劇の客席が一気に、え!祐様と張り合って歌うこの若者は誰?!という空気となったあの衝撃は忘れられない。当時はスマホはおろか、インターネットすらそれほど普及していなかったので、舞台の映像や感想が事前に拡散されるわけでもなく、多くの人が自分の目で見て初めて舞台の内容を知る時代だった(少なくとも私の周囲はそうだった)。ある意味純粋な観劇体験ができる幸せな時代だったとも言える。そんな中で目撃したスーパースター誕生の瞬間だった。あの鮮烈デビューから早くも20年が経ち、今や押しも押されもせぬスーパースターとなってクンツェ・リーヴァイ氏の新作の主演を新たに務めるのだから非常に感慨深い。
 一方で、ベートーヴェンという音楽家のイメージ。音楽室の肖像画で見たベートーヴェンは、髪がやや逆立ち、表情も険しい。「運命」のジャジャジャジャーン!が印象的なせいで、イメージするものは怒りや雷などの負のエネルギー。そして聴力を失うという悲運に見舞われながらも、才能に溢れた楽曲を数々残した大音楽家。小学生でピアノを習う人なら誰もがまず弾けるようになりたいと憧れる「エリーゼのために」。他の音楽家に比べると知っていることが多いような気がするが(例えばハイドンショパンの人生は殆ど語れない)、ただ実際にどのような人生を歩んだのかというところは殆ど知らない。
 今回の舞台を通して、ベートーヴェンは才能に恵まれながらも、厳しい父親に育てられ、そのエキセントリックな気質から周囲にも理解されない部分を持ち、音楽家にとって生命線とも言える聴力を失うという厳しい運命に見舞われ、血を分けた弟とも確執を抱え、常に孤独や絶望を抱えて生きている人物像が思い浮かぶ。しかし、その一方で、熱い情熱も持ち合わせていたことに驚いた。どこか闇を抱えていて、自分で壁を作っていそうな印象があり、他人と分かり合うことを求めてすらいない孤独な人物のようにも思っていたが、トニに対する想いは、初期はとんでもなく不器用でピュアで微笑ましく、その後危なっかしいほどに情熱的で盲目的で、そして終盤にかけて恋から愛に昇華させる、つまり自分の幸せではなく相手の幸せを優先する域に達していく様子が印象的だった。王道ど真ん中のピュアラブストーリーすぎて逆に新鮮だった。しかもそれがベートーヴェン自ら作曲した音楽とともに流れ、美しい舞台美術とやや抽象的なダンスとともに紡がれるので、とても芸術性の高い作品だった。
 もし、作品を見る前に予習すべき曲があるかと聞かれたら、「悲愴」「月光」「運命」と答えよう。特に「悲愴」の旋律に乗せて歌われる、愛を知ることで初めて知る喜び、そして苦悩、悲しみが切なかった。ベタな展開だな~と思うところはあっても、一周回って結局愛とは人生とは人間とは全てこういうことの繰り返しだよな…と素直に感じ入るところがあった。ベートーヴェンやトニにとって、この愛が最後の愛だったのか、いつまでも続く永遠の愛だったのか、描かれていない部分の真相は分からない。でもきっと、ベートーヴェンにとっては大切に守り続けた愛で、その時々に湧き上がった情熱は名曲の数々に吹き込まれているのだろうと思った。
 そういった限りあるものや永遠に続くものをひっくるめたものが人間の営みだと思うし、それぞれ一人の人生に定められた宿命でもあると思う。そんな感慨の中、終盤で流れる「運命」はとても印象深かった。一幕の「運命」は、ベートーヴェン自身に与えられた厳しい試練に対する怒りや絶望を感じ、それに立ち向かおうとしながらも次々と困難が襲ってくるやるせなさを感じたが、二幕の「運命」は人生の終わりに振り返るような達観した境地を感じ、ベートーヴェン自身に留まらず、各人それぞれが背負う宿命を誰もが乗り越え、人生を全うする、そんな人生の積み重ねが人間の歴史を作っているといったような壮大なスケールのエネルギーを感じた。
 この「運命」の他にも他にも芳雄さんはもの凄い量の曲を歌う。しかもかなり歌い上げるビッグナンバーだらけで、これがシングルキャストとは信じられない。中でも好きな曲は、前述した「運命」2曲、「愛は残酷」、よろしく絶望/さよなら絶望。特に「愛は残酷」は悲愴からの一曲だが、トニに手紙を書くベートーヴェンがその狂おしい想いを吐露する歌で、しかもベッドに仰向けになって歌うという仰天するスタイルを披露した。私は一度最前列で見たので、目の前で想いのやり場のないベートーヴェンが、シャツの胸元をグシャっと掴んだり、サイドテーブルに両腕をついて俯いたり、ベッドに寝転んで腕を宙に伸ばしたりするところを間近に見て、もうそれはそれは魅入られてしまった。

 

花總まり×トニ
 ヒロインのトニはとても重要な役で、この役を花總まりさんが演じているのが今回とても良かったと思う。こういう役をやらせたらまさに天下一品!どういう役かというと、客観的に見れば、家柄も地位も経済的にも何不自由なく、全てにおいて恵まれた環境に生きる高貴な女性でありながら、本人は何か満ち足りない不自由さを感じ、もがき苦しんでいる薄幸な女性。完全に花總まりワールドで、クンツェ・リーヴァイ氏が花總さん当て書きで書いたのかと思うほどだった。夫のある身で愛を求める姿は、もちろん道義に外れているわけだが、これがどう見ても悪いのは夫もしくは時代のせいであって、花總さんは悪くないと全力で弁護してしまうほどの説得力だった。人妻であろうが何であろうが、清潔感に溢れ、その救いのない鳥かごの世界から救い出してあげたいと全人類に思わせる、けなげな美しさがあった。花總さんが演じる役を色々と見てきたが、代表作とも言えるエリザベート、そして、マリー・アントワネット、レディ・ベス、バイオームなど、どれにも「黄金の鳥かご」「金のオリ」「人形」などのような形容が登場する。それらの過去作のヒロインをもどこか受け継いだように見えるトニ。今度こそその黄金のかごを飛び出て幸せになってほしいと思った。男性から見るとどう見えるのだろう。きっと夫目線ではなく、ベートーヴェン目線でお花様をあの場所から連れ出して幸せにしたいと思うのだろうな。愛しい女性が幸せそうであればまだ遠くから幸せを願うことができるだろうが、不幸せそうに見える場合は、その恋心を抑えることなどできないだろう。特に二幕、結い上げた髪で罪悪感に俯く横顔が切なくて儚くて、あらゆる男性を狂わせてしまいそうな美しさだった。
 また、トニはベートーヴェンの想い人であるが、劇中何度か概念的に表現されているような場面があった。ベートーヴェンがトニに対して抱く幻想が表れていて、聖母のように微笑んだり、過去のトラウマから解放してくれるような抱擁で包み込んでくれたり、1幕ラストは高いところからベートーヴェンの頭上に楽譜を撒いたりする。特にぞくぞくっとしたのは、丘の上で雷にあうシーン。雷を逃れて木に駆け寄る場面は可憐なトニなのだが、舞台中央で雷が好きなんだ!と叫ぶベートーヴェンに後ろから近づくトニは、急に声色が低くなり、歩く動作も何かが憑依したような天上人のようになり、ベートーヴェンの視界を後ろから覆い隠すような仕草を見せる。ベートーヴェンから見たトニは、自分が自分のままでいいと肯定してくれて、そんな自分を愛してくれる人であり、現実世界の生き辛さを全て消し去ってくれる女神のような存在だったのかと思わせた。

 

クンツェ×リーヴァイの世界
 この作品が通常のミュージカルと違うのは、殆どの楽曲がベートーヴェンの原曲に歌詞を乗せていることだ。この音楽の点は、好みが分かれる箇所の一つだと思う。原曲を使うことによるプラス・マイナス、というほどではないが、違いを挙げると、
・知っている曲が出てくる。アレンジを楽しめる。
ベートーヴェンの世界観を堪能できる。
・元々演奏用の音楽なので音域が広く、歌うのが大変そう。
・各人が持つ原曲のイメージと、使われている場面や歌詞が合わないと感じる場合があるかも。
・最近のミュージカル楽曲のアレンジが進化しており、ロック調やポップ調で曲中に盛り上がりがあるものも多いので、相対的にクラシック音楽がゆっくりで単調に感じられる。
・ミュージカル楽曲は、ストーリーの展開に合わせて作曲・作詞されているため、その場面の人物の心情に合った音楽となっているところが醍醐味と言えるが、本作では原曲が先にあって、ストーリーに合いそうな曲を当てているため、心情と音楽を一体化させることができるかどうかがポイント。 

 特に最後の点については、知っている曲が使われているだけに、BGMのように聞こえたり、バレエやフィギュアスケートを見ているかのような感覚になることもあった。音楽に合わせて、感情を表現する創作ダンス的な印象とでもいうのだろうか。ストーリーを表現するための音楽、ではなく、音楽を表現(可視化)するためのストーリー、と感じるような瞬間もあると思う。この点は、話に入り込めるかという点で重要なポイントかもしれない。私はとても成功していると思ったが、それは今回のキャストの演技力によるものだろう。曲は有名なクラシック曲だが、お芝居がしっかりと線でつながり、感情を歌に乗せて歌える人でないと、こうはならないのだと思う。
 最も強いインパクトがあるのは「運命」だろう。これは1幕でも2幕でも歌われる。しかもここだけ唯一ロック調にアレンジされていて鳥肌が立った。ここだけでも見る価値はあると思う。2幕ラストバージョンは1幕より更にパワーアップしていたので圧倒されたし、ベートーヴェンが拳を突き上げて昇天していくのと合わせて、自分の中の興奮もそのまま脳天から抜けていくような気持ちいい快感があって、暗転と同時に全身で拍手を送った。


ゴースト×音楽の精霊
 ベートーヴェンがピアノを弾くシーンで、白いヒラヒラの衣装を着たダンサーが登場する。よく観劇している人であれば、クンツェ・リーヴァイ作品に時々登場する「人ならざるもの」だと理解するだろう。私は予習もせず、解説も読まずに劇場で見たので、まずは舞台から受ける印象で解釈しようと試みた。「エリザベート」に登場するトートダンサーが黒なのに対してこのゴースト達は白。「モーツァルト!」に登場するアマデはモーツァルト自身の才能の化身で一心同体のようだった(実際にモーツァルト絶命と同時にアマデも息絶える)が、このゴースト達はベートーヴェンの一部、というわけではないようだ。音楽の世界、芸術の世界を司る神の使者たち。いや、つくり出す音楽そのものの擬人化といったところか。よく見るとヒラヒラには音符や五線譜か鍵盤のようなものが描かれている。白なので、ベートーヴェンを支え助け、傷を癒す存在なのかと思って見ていたが、歌っている歌詞をよくよく聴いてみると何やら様子が違う。

 望むな 愛など

 生み出せ 芸術

 天才の使命だ

…これは一体…?白いゴースト達はベートーヴェンの味方なのか敵なのか。芸術のために愛も自由も喜びも望むなと言っているのか。もっとよく聞きたい。ゴーストの言葉を。しかし、劇場で聞くとオーケストラの音やコーラスの重なり、芳雄さんの迫真に迫った演技、バレエのような芸術的な踊り、上から降ってくる楽譜の束など、色々なものを五感で一度に受け止めることとなるのでキャパオーバーとなってしまい、特に高音部分の歌詞がしっかりと聞こえていなかった。それでも圧巻のシーンで感動していたのだが、アーカイブ付きの配信があったので、このシーンを繰り返し見た。そしてある日、私の中のゴースト達が「生み出せ~」「生み出せ~」と囁くので、凝り性の血が騒いだ私は1幕と2幕ラストのシーンの歌詞を書き出してみた。ベートーヴェンのように無心にペンを走らせ、アーカイブを聞き直しては書き込み、そして出来上がった歌詞を見て、私はペンを放り投げてお尻で後ずさった。こ、これは…。そこにあったのは予想していた以上に厳しくストイックな言葉だった。

 天才の宿命だ
 全て音楽に捧げよ!

 芸術家には
 名誉も栄誉も
 幸せもない
 ひたすら
 尽くすだけだ
 自由があると思っていたなら
 それは違う!


 崇高な芸術を生み出すために、自由も愛も友人も失ったというのか。世間の雑音に振り回されないよう、聴覚も失ったというのか。自分の創り出した音楽も拍手喝采も聞こえない音のない世界で、ただひたすらに、世界が放つ喜びや悲しみを自分の内なる耳で再現しながら、それを音楽という芸術で表現する人生を生きたのか。それが神がベートーヴェンに与えた使命だというのか。選ばれし者にだけ与えた才能と試練。才能は栄光のように思えるが、のしかかる重圧は十字架のように重い。ゴースト達に崇められながら、夢中で楽譜を書き続けるベートーヴェンのラストの姿、初めて見たときは美しいバレエのようだと思ってうっとり見ていたのだが、回を増すごとにベートーヴェンに与えられた使命を思い、音楽の渦に巻き込まれてもがき苦しむ姿に見えて涙を禁じ得なかった。
 しかし、ベートーヴェンはなぜ聴覚を失った後にも、これほどの音楽を生み出すことができたのか。孤高の音楽家というイメージがあったが、本作を見て感じるのは、感受性が強く、誰よりも熱い情熱を持ち、言葉や態度は不器用かもしれないが、内なる感情を音に乗せて具現化できる類まれなる才能を持った人物。また、周囲を遮断するような怒りや絶望だけでなく、愛を知ることによって知った喜びや楽しみ、そしてそれを失うことによって知った悲しみや苦しみも、繊細な音楽となって紡がれているのだと思うと、まさに不滅の音楽であり、不滅の愛なのだなと感じた。形のないはずの「愛」というものを音楽という形にすることができて、そしてそれを数百年後の今もなお残していける才能に感服するし、その全身全霊の愛を捧げられたトニも次の世では幸せな人生を送ってほしいと願うばかりである。


 そう考えて思い出すのは、劇中ベートーヴェンが何度か歌う「よろしく絶望」。

 振り向けば 絶望よ またお前か

 さらばだ 絶望よ

 やぁ絶望よ

 ベートーヴェンはことごとく絶望が襲ってくることを呪いつつ、そのうち自分の人生には常に絶望がつきまとうのだと半ば観念しているかのように見えた。この絶望もまたゴースト達なのではないのか。ゴーストは、音楽の天才を生み出す使者としてみれば、人類にとって大きな財産を与えているが、ベートーヴェンから見た時には音楽以外の道が絶たれてゆくまさに絶望をもたらす存在だったのかもしれない。ベートーヴェンの絶望のうえに天才的な音楽が存在しえたと考えると、享受する側としては非常に心が苦しい。
 ベートーヴェンとトニが夢見た、愛と自由に包まれた理想の世界は現実には叶わず、トニは金のオリへ、ベートーヴェンはゴーストの待つ元の世界へ。ともに絶望に戻る。ベートーヴェン絶望の世界は音楽の世界でもある。でもトニに出会う前とは違って見えただろう。ゴーストの思惑通り、俗世や煩悩から切り離された世界。でも苦しみや不条理だけの絶望ではなく、トニを通して知った愛の喜びや自由、それを失う悲しみや切なさ、それでもなお立ち向かう強さ、そしてその先には歓喜のある世界。それら人間の真理を音楽という芸術として大成させて、今なおその名曲が弾き継がれていると思うと心が震えた。

 ベートーヴェンの有名な言葉を思い出す。
「苦悩を突き抜け歓喜にいたれ」
試練や絶望の先に歓喜を見出す境地まで達したベートーヴェンの生涯を讃えながら、この作品は幕を閉じる。

 不滅の音楽 ア〜アアア〜アア
 不滅の愛 ア〜アアア〜アア

偉大な音楽家よ、永遠に!
素晴らしい作品を有難うございました。