えとりんご

観劇の記録。ネタバレご注意を。この橋の向こうにジャコブ通り。

イザボー ①

(ネタバレご注意ください。)

2024.1東京建物ブリリアホール
イザボー・ド・バヴィエール:望海風斗
シャルル7世:甲斐翔真
シャルル6世:上原理生
オルレアン公ルイ:上川一哉
ブルゴーニュ公フィリップ:石井一孝
ブルゴーニュ公ジャン:中河内雅貴
ヨランド・ダラゴン:那須
幼少イザベルほか:大森未来衣      

 

 2024年の初観劇はイザボー! MOJO(Musical of Japanese Origin)プロジェクトなる企画の第一弾の作品である。開幕前日、ゲネプロの動画が公開されたのだが、そこには望海風斗さん演じるイザボーのド派手な登場シーンやパンチのあるロック調の歌唱が披露されており、それを見てすぐにチケットの追加を決めた。見る前に追いチケしたのは初めてだ笑
 観劇初日、果たしてその直感を裏切らないパワフルな舞台だった。出る人出る人圧巻の歌唱力で、また舞台機構や照明も非常に凝っている。日本語オリジナル作品のせいか、歌詞の分量がとてつもなく多く、脳内もフル回転状態でついていくのに必死だった。ジェットコースターのように興奮状態のまま観劇し、気づいたら劇場外にポイっと放り出されて放心状態となった。歴史も複雑で、登場人物の関係性も複雑で、イザボーの心理や行動もかなり変化の幅が大きく、理解しきれないこともそれなりにあったと思う。それでも見た後は圧倒され、ただただすごいものを見た!という感覚に陥った。
 本作はさすが日本オリジナル作品と言うべきか、上演期間中に3回も配信があり、また、購入したプログラムに全ての曲の歌詞が掲載されていたので、配信と歌詞を繰り返し見ながら、劇場では消化しきれていなかった部分までじっくりと鑑賞することができた。(以下、ネタバレを含みますので十分ご注意ください。)

 

イザボー×望海風斗

 元宝塚雪組トップスター、望海風斗さん。私が初めて望海さんを知ったのは、宝塚退団後に配信された「ひかりふる路」を見た時だった。宝塚の夢々しいイメージを覆す重厚な演目で、望海さんの厚みのある安定した歌唱力と、理想と現実の狭間でもがく主人公を演じる姿が圧巻だった。望海さんは、宝塚といわゆる外部グランドミュージカルの橋渡しになれる人だと思った。どちらか一方しか見たことがない人に、望海さんが出ているならもう一方の作品も見てみようと思わせる、そんな魅力を持った役者さんだと思う。実際、私もグランドミュージカルを専門に見ていたのだが、この作品を見て、宝塚劇場にも足を運んだし、宝塚時代の望海さんの過去作品を映像で見たり、退団後の出演作である「ガイズ&ドールズ」や「ムーラン・ルージュ」を劇場で観劇したりした。そのような中で迎えた、初のタイトルロール作品が「イザボー」だった。
 見終わった感想を一言で言うと、「見たかった望海さんをとうとうナマで見た!」に尽きる。何より圧倒的な歌唱力、劇場の空間支配力、強い信念の元に突き進む人物像、運命に抗い自らのアイデンティティに覚醒する決意、現実に打ちのめされる咆哮…宿命に翻弄されながら必死に生き抜いた女性の生き様を見た。

強さ

 イザボーという人物は今回初めて知った。イザボーだけではない。百年戦争ジャンヌ・ダルクという名前は非常に有名だが、詳しい史実はというと正直おぼつかない。歴史のロマン溢れる中世、領地や覇権をめぐる争いが絶えず、生きるか死ぬかの権謀術数渦巻く時代である。イザボーは、夫である国王シャルル6世が発狂するという悲劇に見舞われなければ、歴史の裏に数多くいる政略結婚で嫁いだ王妃の一人に過ぎなかったかもしれない。しかし、彼女は数奇な運命を辿る。その人生の出来事を少し書き出すだけでも、百年戦争の時代の真っただ中に生まれ、フランス国王に嫁ぎ、生涯12人の子を出産し、夫である国王が発狂し、自ら政治に加わり、派閥闘争に翻弄され、イングランドとフランスの間で交わされた重要な条約の調印に関わり、ジャンヌ・ダルクの登場によって自分の運命も大きく変わる…あまりに劇的すぎる人生だ。嫁いだ頃は純粋な幼い少女だったわけだが、この運命を与えられては当然強くなくては生きていけない。不幸な運命に翻弄されながらも、徐々に覚醒し、強く苛烈に自ら道を切り開いて生き抜く姿はただただ圧巻だった。

 揺るぎない強い意志に圧倒される一方で、違う側面も垣間見えた。2幕を途中まで見て感じるのは、1幕であれだけの決意で立ち上がり、祖国フランスを守ると誓ったイザボーが、実現したかったことはそれなのかということだ。享楽に興じ、我が子を次の王位につけるために策略を謀り、時には敵側に取り入って抱き込み、娘達を政略結婚の道具として各国に送り込む。もっとダイナミックにフランスのために力を注ぐのかと予想していたので、他の諸侯たちと同じようにはかりごとに暗躍する姿に少しがっかり部分するもあった。しかし、これが現実なのだなとも思った。一王妃として、自分を守り、国王である夫を守り、自分の子供たちを守り、派閥を家系をフランスを守るためには、姑息に見えようと、敵を欺いたり腹を探り合ったりしながら生き抜いていくしかないんだなと。何度か見るごとに、イザボーが王妃という頂点に立ちながらも、結局は鳥かごから完全には抜け出せず、沼地に足を取られるような世界で生きているように思えて、煌びやかな舞台上の強い姿とは裏腹に、ふと哀しさも感じてしまった。

 史実だけを見ると、私欲のみを優先し、国が傾くことに頓着しない無能な王妃のようにも見えるが、本作で明らかになるのは、根底に国王への愛、祖国フランスへの愛、そして自分自身への愛があることだ。1幕でシャルル6世の発狂に接した後、「美しい獣になろう」「それが人の道でないというなら人であることをやめよう」という、こちらも狂気的な決意を見せる。ある意味では、この時点でイザボーは一度死んでいる。夫の病気を嘆き悲しんでいるだけでは、自分は食われてしまう。自分と夫と祖国を守るためには、鉄の鎧をかぶって自分が食う側に回らないと生きていけない。食われるというのは、殺されるとか立場を追われるというものとは限らない。王と同じように傀儡となり、いいように利用される可能性もある。そんな冒涜は許さない、という強い意志を感じる。そのためには、道徳に反することであろうが、人から嫌われようが、罵られようが、意に介さない。そのようなことをウジウジと気にするイザボーは自分の中で殺したのだ。ジャンに「血も涙もないのか」と責められる場面があるが、そう、血も涙も捨てたのだ。自分が自分であるために。
 トロワ条約調印後に夢の中でシャルル6世と会話する場面がある。「陛下…」という柔らかい声が切ない。鉄の仮面、獣の仮面の下に眠る、ただ夫を愛するだけのイザベル。あのイザベルを殺して、戦い続けたんだなと。

幸せ

 幼少期のイザベルが度々突き付ける「今あなたは幸せ?」という台詞が胸に刺さる。生物学的に見れば、繁殖能力があって、種の保存ができる生物が生き残る。それは総体の数の勝負でもある。沢山生き残っていれば成功なのだ。たとえ生き残っても個々一人一人の個体が幸福とは限らないが、しかし生き続け、次の世代に繋げていくことで、全体として見れば何かいい方向に繋がるはずという人間の儚い希望が見える。現代に生きる我々は、(多くは)命の保証があるうえで質的な幸福度を求めているが、それは社会が成熟したおかげであり、基本的な生命の安全が保証されていない時代においては、生きることがまず最初の幸福になるだろう。その意味では、12人の子を為し、65歳の人生を全うしているイザボーには強い生命力を感じるし、人生の勝負には勝っているように思う。
 そのうえでイザボーの人生が幸福だったかどうか。それを現代の感覚で語ることがどこまで適切か分からない。その生涯は悪や血にまみれており、国家間の争い、派閥の争い、夫婦関係や親子関係の破綻などを見ると、目指した理想に辿り着いたとは言えないかもしれない。しかし、それは単なる結果論であり、歴史のある一つの側面から見たものでしかない。結果の成否ではなく、より良き未来を信じて自分の思うように生き抜いたことは幸福なのだと感じた。

 イザボーが史上最悪の王妃と呼ばれ、遂にはフランス王位を手放すに至る歴史に加担したのは史実なのだろうが、一方で、その時代を必死に生き、特に女性が抑圧された時代に限界まで挑みながら生きたのもまた事実なのだろうと思った。悪をも辞さないその強い信念がいっそ清々しく、歴史は味方しなかったが、その強さはシャルル7世を含め、以降の王にも受け継がれていったのだろうとも思える。最後に滝のような薔薇の花びらを浴びる姿が残像のようにいつまでも瞼の裏に残り、イザボーの激しく鮮烈な生き様に圧倒された。


シャルル6世×上原理生

 イザボーの夫である国王シャルル6世を上原理生さんが演じている。登場するなり狂っている。解説には脳神経系の疾患があったと書かれていたが、日本でも海外でも病弱の王は定期的に現れる。近親での婚姻を繰り返すことによる遺伝的なものか、当時の医療では救えない病気が多かったのか、国の統治を担う重圧によるものか、理由は不明だが、シャルル6世が精神錯乱状態に陥っていることがこの物語の全ての始まりでもある。役者さんの対談で知ったのだが、劇中で描かれているとおり、シャルル6世は実際に「ガラス妄想」と呼ばれる錯乱に陥り、自分の体がガラスでできていて壊れてしまうかもしれないという強迫観念に苛まれていたそうだ。
 病状以上に見ていて苦しくなるのは、周囲がシャルル6世を生かしも殺しもせず、傀儡としていいように利用することだ。その邪な策略に立ち向かうためイザボーが政治の表舞台に登場する。いっそ王位を別の者に譲れば、各人の運命も大きく変わったのではないかと思えるが、そうしなかったこと自体が、この時代の闇の深さを物語っている。
 もう一つ苦しくなるのは、シャルル6世が時々正気を取り戻すことだ。正気になっては、狂気の自分が起こした事態を把握し、懺悔する。イザボーに「自分がまだ自分でいられるうちに殺してくれ」と頼む場面は本当に胸が締め付けられる。「故郷の空に帰そう」という歌詞と合わせて、シャルル6世の渾身の愛の告白のようにも聞こえた。シャルル6世はイザボーを愛していて、イザボーも最後までシャルル6世を愛している。政略結婚の時代にあって、愛し合う夫婦がいることが奇跡的なような気もするが、そういう奇跡の出会いであったにもかかわらず、なぜ神様は非情な運命を与えたのか、と涙を禁じ得ない。
 その後の展開を客観的に見ると、イザボーが放蕩三昧の生活を送り、王妃でありながらルイを始め多くの男たちと浮名を流していたようだ。これもまたイザボーの悪女ぶりを象徴するものだが、シャルル6世の錯乱状態を考えれば、それもあり得ることかもしれない。この点でイザボーを擁護する気はそれほどないのだが、果たしてイザボーだけが悪いのか、とは思う。今より女性の人権が低かった時代、周囲の男性もシャルル6世が正気でないのをいいことにイザボーに欲を向けてくることもあるだろうし、政治的な思惑で関係を持とうとすることもあるだろうと思えた。国と国王を守り、獣のような男たちと張り合っていくためには、自分も獣になる必要があったのかもしれない。自分の尊厳を守るためには、弱き獣として餌食になるのではなく、美しき強き獣として逆に手玉に取っていると見せるしかなかったのかなと…。 あぁ、せめてシャルル6世が正気に戻る時間が少しでも多くあってほしい。もしそれが叶わなかったのなら、せめてルイだけは本当の癒しの存在であってほしい、と切に思った。
 トロワ条約調印後の場面で、正気のシャルル6世が夢に登場するようなシーンが好きだった。穏やかで優しい愛妻家のシャルル6世。あれが夢だとしたら、シャルル6世の夢でもあり、イザボーの夢でもあるのだろう。何とも切ない。と同時に、最後の台詞の意味をずっと考えている。イザボーが抱きしめられながら、幸せそうな表情を浮かべているのだが、「叶うならば、ずっとこうして抱きしめたかった」というシャルル6世の言葉を聞いて、急速に瞳の色を失くしながら、「それはかないませんでした…」と呟く。いつから叶わなくなったのだろう…。それはシャルル7世を含むイザボーの子供の出生の事実に関わる言葉なのだろうか。実に意味深な台詞がさらっとチャレンジングにぶっ込まれているな…と思ってしまった。この事実は永遠に分からないと思うが、それはそうと、叶いませんでした…という言葉に、夫に対するイザボーの不変の愛も感じられ、またしても病気が引き裂いた運命に胸が痛んだ。


オルレアン公ルイ×上川一哉

 全てのキャストが歌ウマ揃いだったが、オルレアン公ルイを演じた上川一哉さんもその一人だ。ムーラン・ルージュでもお目にかかったが、今回のルイはまた非常に魅力的なキャラで、これ以上観劇したら引き込まれて危険だと感じるほどだった笑 国王の弟でありながら、王族ぶらない飄々とした軽やかさ(チャラさとも言う)を見せ、女性と見るや手当たり次第に口説き落とし、最後は王妃イザボーとも不貞の関係となるルイ。初回見たときは全く食えねえヤツだと思っていたのだが、上川さんの鼻に抜けるような高音の甘さも相まって、ルイのチャラさゆえの人懐っこさというか、憎めなさが愛おしく、だんだん気になる存在になるので実に困ったものだ。飄々としているので、国王の敵か味方かも分からないところもあり、1幕で王妃に協力を誓約した時には、隙あらば裏切りそうな腹黒さも感じた。それが、はっきりとではないのだが、微妙に心情が変化していく様子がとても良かった。1幕はイザボーが覚醒する様子をニヤニヤ見ながら、自分のコマとして使えるかどうか見極めているような印象だったが、2幕でイザボーがだんだん羽目を外していく様子を見るにつけ、彼女の虚勢をどこか憐れんでいるような、でもどうすることもできないやるせなさを感じた。2幕冒頭で、イザボーがブルゴーニュ公親子を前に悪態をつく後ろで、突っ立って見ているルイの表情が何とも言えなかった。なびかない1幕イザボーには軽口でチャラチャラ口説き文句を吐けたのに、2幕になると本気の気持ちが伝えられないとは、なんて罪なヤツなんだ!惚れてまうやろー!
 そして、(ジャンの裁判風に→)極めつけはあの公演プログラム事件~~!本作が日本オリジナル作品であることの恩恵か、購入したプログラムには全曲の歌詞が掲載されていた。細かく見ていると、掲載されている歌詞からところどころ変更されている箇所があった。直前までブラッシュアップしているのだろうと思っていたが、なんと本編にはないルイのソロの歌詞が掲載されているではないか!本編ではその歌詞の一部が台詞として使われているのみだった。この歌詞がまた非常に切ない。最初は遊びのつもりだったイザボーへの想いがだんだん本気になってしまったような、ルイの切ない心情が吐露されている。なぜこの曲はなくなってしまったのだろう!!聞きたかった!!あんなに哀愁漂う歌詞だけ載せておいて本編で歌わないとは、これは新たな焦らしプレイか!?イザボーに届けられなかったルイの思いをメタ的に表現しているのか? まぁ、もしルイへの感情移入が深まると、その後の展開で観客が情緒不安定になってしまうので、あのくらいの軽やかさがちょうどいいのかもしれないが。いやぁ、でも何かの機会に幻のルイのソロを聴かせてほしいと願っている。
 あと、2幕冒頭にシャルル6世とルイが賭けで馬を飛ばすシーンがある。正直、本編にほぼ関係ないようにも思うのだが、何度か見ると涙が出そうになる。全編を通して重苦しいストーリーが続く中、あの早駆けのシーンだけは明るく平和で幸せそうで、なぜあの時間が長く続かなかったのか…と切ない気持ちになる。また、これは個人的な話になるが、ルイのことが気になる自分を自制しようとしていた頃に、ちょうど1階通路寄りの席で観劇する機会に恵まれた。(偶然だろうか〜。それとも主の導きか〜!)この場面は客席から登場する演出になっていたのだが、自分の席の目の前でルイが立ち止まり、しかも観客に軽く声をかけながら台詞を発するものだから、すっかり見入ってしまい、その後しばらく舞台の台詞が頭に入ってこなかった。あっさりオルレアン派に陥落した笑

 そう、全く予想だにしていなかったのだが、思いの外、ルイが刺さってしまって身悶えている。他にもそういう人は多かったのではないだろうか。しかしあんなチャラいやつのどこに惹かれたのか(失礼!) 女性に節操がなく、派閥闘争では腹黒さも感じるやつだというのに!
 オルレアン派の総意、ではないかもしれないが、一員としてルイの魅力を挙げるとすると、軽さの中に見える重さというところだろうか。イザボーへの愛、そして兄への愛が良い。バレンチーナには申し訳ないが、ルイは最後はイザボーに本気になってしまっている。そしてまた、兄シャルル6世のことも、コンプレックスもありながら、心底好きなんだろうなと思った。切ないのはイザボーはルイに身は捧げているが、心は全く捧げていないこと。イザボーは快楽を貪っているように見えて、本物の愛はとっくに捨て去っている。シャルル6世が完全に狂気に落ちた時に、自分も死んでいるし、シャルル6世も死んでいる。死んだ人は永遠なのだ。死んだ人を超えることはできない。イザボーの中では愛の対象は昔のシャルル6世のみであり、それが戻ることはないのだから、もはや愛など存在しない世界に生きている。きっと男もゲームのカード、自分の体も切り札くらいのものだ。
 ルイはイザボーの愛を得ているように見えても、抱いても抱いても自分のもののような感覚はなかったのではないか。タチが悪いことに、奪いたくても戦う相手が死んでいるのだから、勝負すらできない。永遠に手に入らないイザボーの心、永遠に超えられない兄、抱くたびにそれを突きつけられる苦悩を感じた。ルイの軽さの奥に秘めた、どうしようもできない思いがとても重く、ぎゅーっと胸を締め付けられた。

 そんなわけで、見れば見るほど引き込まれてしまう危険なキャラだった。欲を言えば、ルイの本心がもっと知りたかったし、飄々とした軽やかさをかなぐり捨てて思いをぶつけるところなんかも見たかった。(それはまた別の物語よ!)

 

シャルル7世×甲斐翔真

 甲斐翔真さん演じるシャルル7世が、実はストーリーテラーだというのがまず驚きだった。イザボーの子でありながら敵となり、後に国王として即位するシャルル7世。かの有名なジャンヌ・ダルクに窮地を救われるという、世界史の中でも他に類を見ない強運の持ち主とも言える。そのシャルル7世を敢えてストーリーテラーとし、母であるイザボーとフランスの歴史を振り返る。もう一人のテラーであるヨランド妃は様々な経緯を知っているが、シャルル7世はまだ全貌を知らないので、我々観客と同じ目線にいるとも言える。観客はシャルル7世が理解を深めていくのに合わせて歴史を追いかける。複雑な歴史背景でありながら、没入していける巧妙な仕掛けだと思った。私もそうだが、多くの日本人はイザボーという人物を知らない。だが、この物語を見るうえでは、まずイザボーが史上最悪と忌み嫌われた王妃であるというところをスタート地点にしたうえで、彼女には彼女の正義があって必死に生き抜いた人物だということを知ることが必要だ。そのためにも、物語の冒頭で、(全く知らないはずの)イザボーが悪女である認識を共有する必要があるのだが、シャルル7世がそれを自然に誘導してくれている。一人だけ当時の価値観ではなく、現代に近い価値観を有しているように見えるのもそのためだろう。
 だが、そんなストーリーテラーを担っていたシャルル7世が、最後には物語の中の時間軸に溶け込んでいく。救世主ジャンヌ・ダルクとの出会いを経て戴冠する場面、そして母イザボーと邂逅する場面。史実では、イザボーとシャルル7世は敵として対立し合う親子であり、本作の最後の場面でも和解するわけではないのだが、穏やかな浄化の時間が訪れる。シャルル7世が最後に「王太后陛下、どうぞお元気で」と告げる場面は、精一杯の愛と、混乱の世を生き抜いた人間に対する敬意を感じた。イザボーのようには生きないだろうが、国王として人間としてひたすら一生懸命に生き抜こうという思いは受け継がれるだろう。
 
 また、ストーリー以外の部分で感じたことを書いてみたい。私が観劇を好きな理由は、もちろん演じている役を見て非日常の世界に没入できることだが、もう一つ、その一方で、現実世界の役者さん自身が役柄に投影されるように見える一体感だと思っている。しかもそれは時に一期一会で、今この瞬間にしか見られない時限的な一体感の時もある。
 シャルル7世は5番目の男子であり、王位継承順位は低かった。それが兄達が次々と亡くなったことで、自分の元に王位が転がり込んでくる。それだけ強運の持ち主と言えるが、その器たりうるのかと自問自答している。若さゆえの根拠のない自信が漲る瞬間もあれば、自分がこの重責を果たせるだろうかというプレッシャーに苦悩するような瞬間もある。それでも真摯に過去や現実と向き合い、自分にしかできない道を切り開こうと決意する姿を見せる。これが今現在の等身大の甲斐翔真さんにピッタリ合っていたと思う。素晴らしい実力を備えた役者さんでありながら、驕ることなく常に自分の力と向き合い、錚々たる豪華キャストの中で大きな役を担い、さらに高みを目指そうとする姿。ご本人の飽くなき挑戦が、混乱の世に立ち向かおうとする若き新国王と重なる。これまで何度も共演している望海風斗さん演じるイザボーから、「あなたの思うように生きなさい」と諭される姿は、甲斐翔真さん自身へのエールにも思えて胸が熱くなった。

 

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 久しぶりに長編となってしまったので、ひとまずここで第一弾は終わりとする。続編ではイザボーのストーリーや歌詞について考えてみたい。

 

(イザボー第二弾はこちら→ イザボー ② - えとりんご