えとりんご

観劇の記録。ネタバレご注意を。この橋の向こうにジャコブ通り。

宝塚宙組NEVER SAY GOODBYE ①ジョルジュ×真風涼帆

NEVER SAY GOODBYE ーある愛の軌跡ー

2022.4
東京宝塚劇場 宙組
ジョルジュ 真風涼帆
ヴィセント 芹香斗亜
アギラール 桜木みなと
キャサリン 潤花  ほか

 宝塚の作品を劇場で見たのは何年ぶりだろう。どちらかというと、東宝系のグランドミュージカルが好きなので、宝塚を積極的に見る機会は普段あまりないのだが、少し前に配信で見た宝塚作品がとても印象に残り、また、知人に猛烈にNEVER SAY GOODBYE(以下、ネバセイ)を勧められたこともあり、初めて自分でチケットを買って劇場で見ることにした。

 そもそもネバセイを見ようかなと思ったのは、この動画がきっかけでもある。→特別映像「One Heart PROJECT」 - YouTube

新型コロナという得体のしれない感染症が世界中に蔓延し、劇場が閉鎖を余儀なくされた2020年、当時の宝塚各組の男役トップスターが揃って歌を届けている特別企画だ。しかも、15年ほど前に宙組を退団した元男役トップで、今はアメリカに住む和央ようかさんとオンラインで結んで一緒に歌うというもの。その歌こそがネバセイ最大のビッグナンバーである“One Heart”だった。しかも、ピアノ伴奏はOne Heartを含むネバセイの音楽を担当し、今は和央ようかさんの夫でもあるフランク・ワイルドホーン氏が自ら弾いている。コロナ初期のあの頃、劇場を含む様々な日常が突然遮断されるという未曽有の事態に直面し、宝塚のジェンヌの皆さんもファンの皆さんも思いを届ける方法を必死に探したのだろう。思いを伝え合いたいという原始的な欲求を我々人間はこんなにも強く持っているんだという事実と、One Heart(一つの心)という歌詞のメッセージ性と、歌の持つ強い力を改めて感じ、宝塚ファンでなくとも涙が止まらない動画となっている。和央ようかさんは昔何度か見たことがあったので懐かしくもあり、そしてワイルドホーンと言えば、言わずと知れた大作曲家で、マタ・ハリ、笑う男、ひかりふる路など、最近私が見てドはまりした演目の音楽を世に送り出している巨匠である。作品のストーリーを知らなくてもワイルドホーンの楽曲なら見てみようかなと思うぐらいには、私の中では重要な位置を占めていた。私にとってはかすかにつながる程度の宝塚との縁ではあったが、知人の布教も強くなる中(笑)、宝塚セカンドデビューを果たすならネバセイは悪くないかなと思うようになっていた。
 そんな色々な布石を経て、チケット争奪戦も無事にかいくぐり、宝塚ワールドに足を踏み入れたのだった。以下、ネバセイの感想となるが、毎度のことながら多分にネタバレを含むので未見の方はどうぞご注意を。

 

ジョルジュ×真風涼帆

宙組トップ真風涼帆さん

 宝塚に詳しくなくても真風さんの名前は知っている、というほどのスーパースターである。私もナマ真風さんを見れるのを楽しみにしていた。宝塚の男役トップスターと聞いて思い浮かべるものは、容姿に歌に演技にダンスにと何拍子も揃った才能と醸し出す圧倒的オーラ…といったものだろう。真風さんにももちろん全てあった。だが、それ以上に私が破壊力を感じたのは身にまとう色気と哀愁だった。
 特にポケットに両手を突っ込んで目を伏し目がちにした時の色気と、その状態から天を仰いだ時の色気がすごい。後半のウインクや投げキッスよりも、私はあの伏し目がちな視線の色気を強烈に感じた。目元に加えて口元からこぼれる色気も半端ない。熱い思いがこみ上げる時に息苦しくなるような時があると思うのだが、少し半開き気味の唇がそんな切なげな表情を作り出していた。もっと伝えたい言葉やこみ上げる衝動がありそうなところをぐっとこらえているんだけど、こらえきれずに決壊しそうな感じというか…。
 特に、エレンを振る時の表情がとんでもなく良かった。なんであんなに哀愁漂わせて振るんだろうか。この後にキャサリンを追いかけるところが一番好きなシーンではあるけども、表情で言うとエレンを振る時の「僕は出会ってしまった」辺りの表情が一番どストライクだった。私がエレンなら、顔が良すぎて言葉が耳に入ってこなくて振られてることに気づかないかもしれない(いらん心配)。
 その次は、2幕でキャサリンアギラールの下でラジオの仕事を続けると言った時に、本当は止めたいけど止めるのはプライドが許さないという葛藤にもがく場面があるが、その後の「彼女のどこに恋したのだろう」が絶品だったな。歌い始める前に一瞬宙を見て軽く頭を振り払ったような気がした。アギラールへの嫉妬心はないと思うし(ジョルジュにしてみれば恋愛の敵じゃなさそう)、自分が写真を出せないのにキャサリンがラジオで自分の役目を全うできることに対する嫉妬、というのも少し違うと思った。でもアギラールが「彼は嫉妬しているんだ」と言ったことによって、キャサリンにそう思われるのは嫌だという抑制は働いていると思うので、あのアギラールの心理作戦は巧妙だったと言える。ジョルジュの一番の気持ちは、アギラールの息がかかった仕事をすることに対する不安というか、モヤモヤした思いだと思うし、でも一方で、キャサリンが希望の仕事をするためにはアギラールに預けるしかないというジレンマに陥っていたのだろう。迷いを完全には断ち切れずに歌うあの表情が実によかった。その後アジトで皆とラジオ放送を聞くときも、ジョルジュは一人複雑な表情をしていた気がする。横を向いたり後ろ向いたりしていたような。あれはキャサリンアギラールの仕事をすることにまだ素直に向き合えない心情を表しているのだろうか。柱にもたれる背中からにじみ出る哀愁が切なかった。
 というわけで、私はヒーローのようにキャサリンをかっさらっていく場面や教会で愛を誓いあう場面とかオリーブの木の前で歌う場面とかよりも、迷いと葛藤の中で色気をだだ漏れにしてくる真風さんが大好物だった。あと、「エ~レ~ン」「パオロ」と名前を呼ぶやつ、あのたしなめる口調を時々急にぶっこんでくるのもダメすぎましたね。角度も間合いも全て計算されているのか、それとも全てがナチュラルに身についているのか分からないが、いや~、女心を死ぬほど知りすぎている男(役)の仕草は本気でやばいなと思いましたですね。



主役ジョルジュ・マルロー

 真風さん演じる写真家ジョルジュ・マルローは、写真を通して人生の真実を捉えたいという使命感に満ちている人物なのだが、この役柄を主役に据えるところが実に渋いと感じた。市民が祖国のために反乱軍と戦うストーリーが主軸と考えれば、普通ならヴィセント辺りが主役でも良さそうなところだが、なぜジョルジュが主役なのだろう。その分、宝塚作品としてはやや重く暗い印象につながっていると思う。私は元々硬派で重厚な話が好きなのでかなりドンピシャだったのだが、これの初演が16年前のしかもトップコンビ退団公演だったというのは少し驚く部分もある。小池先生、渋すぎませんか?
 だが、ヴィセントが主役のストーリー展開を想像した上で改めて本作を思い返すと、ナチスドイツをバックに戦う反乱軍、それに対抗して祖国を守りたい市民達、祖国を守りたい意志は同じだがソビエトをバックにつけて国の統一を図りたいPSUC、ソビエトにも政府にも頼らず自分たちの理想の国を作りたいPOUM…、その後の歴史も踏まえたうえで当時の人々の主張を追いかけると、何が真実で、何が正しいか、本当に正解など分からないという思いが胸を刺す。彼らにはそれぞれに崇高な理想があって、大切なものを守ろうとしているのだが、その結果本当に何かを守れたのか、多くの犠牲の上に得たものは何だったのかと考えると胸が痛い。ともすると、戦いに散る勇士は美化されがちだが、主役が第三者の外国人で、歴史が動く真実の瞬間を追い求める写真家であることによって、観客は犠牲者を美化しすぎずに客観的に当時の人間たちの行動や心の動きを追いかけることができた気がする。もちろん、ジョルジュやヴィセントや市民達に感情移入する場面が多いのだが、そちら側に寄り過ぎていない自分を発見した時に、ジョルジュを主役に据えた意義を垣間見た気がした(全く見当違いかもしれません。個人の感想です。)



ジョルジュのこと

 というクソ真面目な感想を書いた上で、男性としてのジョルジュ評に再度戻りたい。ジョルジュの写真に捧げる情熱やOne Heartで見せる正義感溢れるリーダーシップ、真風さんの破壊力抜群の色気にガッツリ持っていかれてつい騙されそうになるけど、よくよく考えると、女性関係に関してはジョルジュは実は結構クズ要素強めですよね?(嫌いじゃないです。むしろ好き。)「(フィルムは)キスしてくれたら返してあげよう」とか、聞いてもないのに「金と女には不自由しない」とか言っていて、エレンを振る時にも「忘れられはしない。マリブの夕日に黄金に染まる君はヴィーナス」とか言っている。冷静に聞くと、舞い上がるか警戒するか紙一重な言葉ではある。女性に関してもデラシネ(根無し草)だというか、縛られたりせずに自由に生きてきたのかもしれないと思わせる部分もある。
 私がジョルジュシーンで一番好きなのはエレンを振ってキャサリンを選ぶ一連の場面で、振られるならエレンのように振られたいと思ってしまうくらいには最高オブ最高だったが、よく考えるとやっぱり危険な香りがプンプンしてるよね。「世界中の男が君にひれ伏す」とか何とか言った後、「僕は出会ってしまった、運命の人に。めぐりあうために世界さすらった。」オイオイ、それを今カノに言うか?しかもそんなにフェロモン投げ散らかしながら言う台詞ではない!「あの人のどこが私よりいいの!」ええっとジョルジュさん、相当修羅場になってきていますが…。「君を傷つけたなら殴られてもいい。でもこの胸の思い消せはしない。」映画やドラマなら頬を引っぱたいてもいい場面だが、真風さん相手にそんな展開は起きない。ジョルジュも相手が自分を殴るはずがないと分かって言っている台詞なので、これだから色男には適わないし、こんなイイ男に惚れてしまった女の負けであることを最後の最後まで痛感させられるわけで、地団駄踏むほどカッコよかった。あぁ私も真風さんに振られたい(違う)。
 そんでもって、次の瞬間には光の速さでキャサリンの手首を掴んで流れるようにキス。あれは本当に男性にしか見えなくて、キスの最中にもう一段階気持ちが盛り上がってぐっと腕をつかみ直す感じというか、離れがたい感じでもう一度ぐっといったりするのでもう悶絶しましたです。その上、「やっと分かった。君に会うために生まれてきた」「(こんなことを言ったのは)信じないだろうが初めてだ」とか言い出すわけで、自分の需要を分かりすぎている男子で、そりゃあこれまでも不自由する暇なかっただろう。それでも、これまで何人の女がいたとしても、これまで何人の女を泣かせてきたとしても、キャサリンこそは本物の愛に違いなくて、身も心も溶けるほど愛してくれるんだろう。もはやこの時点ではキャサリンもそう信じてるし、観客も全員そう信じている。それだけの有無を言わさぬ力を持っているので本当に恐れ入る。アギラールが横で見ていたら、腕組みしながら白い眼でケッと毒を吐いていただろうよ。そんなわけで、もしかしたらジョルジュはクズかもしれないし、騙されるな危険!っていう信号が脳内でピカピカ点滅したりもするけども、そんな警戒信号はそっと止められ、誰もを信じて惚れさせてしまう真風さんの色気は正義!



人生の真実

 真風さんの色気について語りだすと止まらないので、最後はもう一度真面目バージョンで。
 ジョルジュは人生の真実を見つけることができたのだろうか。デラシネとして世界中をさすらって生きてきたジョルジュだが、運命の女性と出会い、また、スペインの内戦を通して人々が立ち上がっていく瞬間をカメラに捉える中で、自分も人生の真実のときを生きてみたいと思うようになる。「もうデラシネじゃない」という台詞は、自分はどこかに根を張って生きる人間になるという決意であり、アイデンティティの確立でもあった。ジョルジュが根を張って生きると決意した場所はどこなのか。バルセロナかスペインか民主主義か。いやもっと身近にカマラーダだったのかもしれない。
 今世界で起きている紛争や歴史上の民族戦争も、言ってみればアイデンティティの戦いで、自分達のルーツである土地と民族を守りたいという根源的な欲求でもある。日本では理解しづらい部分もあり、これだけグローバル化が進むと、似たような民族なら仲良くやっていけないのかと思う向きもあると思うが、では近くの惑星から来た宇宙人に地球が侵略されるという時に無抵抗で意に従うかというと恐らくはそうはならないだろう。歴史上の戦いは、その時代にそこに生きる人にとってはその地が世界の全てとも言えるので、地球が宇宙人に侵略されるほどの許しがたい侵害だったはずだ。
 デラシネのジョルジュは、しがらみのない自由な人生である一方で、どこにも属さない宙ぶらりんな感覚も持っていたのだろう。デラシネとして生きる人間は、祖国の戦いに命を懸ける感覚を持てないように思う。ジョルジュが戦いに参加すると決意したということは、最後の最後に自分がいるべき場所を見つけたということで、ある意味でジョルジュは生涯諦めていた境地に辿り着いたのかもしれない。生きるべき場所、生きる意味、それが人生の真実ということか。
 そして自分の命であるフィルムはキャサリンに託し、実際の命も孫の代までつなぐことができた。ジョルジュの命は絶えても「僕は生きてる、君の中で」…キャサリンの中でずっと生きていける、あの時そう確信を持てたからこそ戦地に向かっていけたのだと思う。それも、女性に関してもデラシネだったジョルジュが最後に見つけた居場所、根を張って花を咲かせていける場所…つまり、もう一つの人生の真実だったのだろう。

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勢いに任せて書いてしまいました。何か失礼がありましたらご容赦ください。次回はアギラールについて書いてみたいと思います。