えとりんご

観劇の記録。ネタバレご注意を。この橋の向こうにジャコブ通り。

笑う男 ③ グウィンプレンと笑う男

「笑う男」観劇レポ第3弾です。ネタバレでしかありませんので、未見の方はご注意下さい。

 

ウィンプレン

 グウィンプレンの運命は非情なもので、実際の場面を想像すると身の毛がよだつ恐怖を覚える。コンプラチコというのがビクトル・ユゴーの創造であると知って心底安堵した。と同時に、そんなファンタジーを作り出せる巨匠の発想力に今さらながらひれ伏した。
 ただ、舞台上のグウィンプレンは、予想よりも明るいキャラクターだった。悲惨な星の下に生まれて人生に絶望しながら生きているかと思いきや、ウルシュスやデアや一座の愛を受けながら、自分の人生を受け入れているようだった。陽の成分が強めだったので、もう少し陰のキャラでもいいのではと思ったが、それだと後半の対決やラストシーンで悲愴感が強くなりすぎる気もするので、あの陽ぐあいが絶妙に良いのかもしれない。
 ちょっとやんちゃな少年っぽさを残しながら、デアを大切に思い、ウルシュスを父と慕い、一座の団員と打ち解けながら成長するグウィンプレン。一方で、外見のコンプレックスから、デアを愛する資格などないと自制している面もあるのだが、そのたびにデアが内面の美しさを認めて愛を向けてくれるので、自己肯定感をきちんと持っているのだなと感じた。
 普通の青年のように、未来に対して希望も持っているが、その気持ちをウルシュスが戒める。厭世家のウルシュスは貴族が支配する腐った世の中を嫌というほど知っていて、グウィンプレンが身の程をわきまえずに外の世界に飛び出すことを許さない。
 二人がぶつかり合うところは、どちらの目線で見るかによって違って見える場面だと思う。グウィンプレンはいかにも世間知らずで危なげな感じがするが、ウルシュスの説教は真理ではあっても若者には響かないだろうなとも思う。グウィンプレンがアイデンティティに目覚めて、自分も幸せになる権利がある、自分は何ができるのか、などといった哲学的なことに向き合い始めるのを見ると、どんなに虐げられても厳しい境遇にあっても人間がアイデンティティに目覚めるという事実にどうしようもなく胸が熱くなった。世界がたとえグウィンプレンの理想とかけ離れていたとしても、挑戦し、壁にぶつかり、自分の思う道へと歩み出す瞬間が必要だと思った。
 進んだ道の先に待っているのがジョシアナの誘惑とは思わなかったが笑笑 しかも、え?ジョシアナに少しなびいている?!デアへの純粋な愛はどうした?と盛大に突っ込みたくはなったが、この化け物のような醜い顔から眼を背けず自分を求めてくれたと歌うグウィンプレンを見ると、彼の抱えているコンプレックスや、素の自分をそのまま認めてもらいたい欲求が切なかった。そうだよね、自分の顔を含めてもなお求められるということは期待すらしていなかったのかもしれない。愛はデアだけと思いながらも、初めて素の自分を求められた高揚を消化しきれず、夜空を見上げて寝転ぶシーン、それまでと違って低く切ない声で歌うこともあって不用意に撃ち抜かれる。

 運命のいたずらか、突然グウィンプレンの人生が大きく転換する。突然の煌びやかな宮廷生活、これまで自分を虐げてきた周囲が自分に跪く世界に驚きながらも、どこか夢見心地で浮かれてる様子。僕はグウィンプレンだ!と叫んでいた割に受け入れるんかーい!と思ってしまうが、生まれた時から運命に翻弄されてきた彼は、運命をまずは受け入れる柔軟性を誰よりも高く持っているのだろう。
 さらにその後、アン女王から結婚を命ぜられた時、片膝をついて頭を下げていたので、それも受け入れるつもりか?となったし、ジョシアナからもう要らないわと切り捨てられたところでは、オイオイそれでいいんかい!となった。あまりに素直に運命を受け入れすぎだろうと。まぁ運命が畳み掛けてやってきすぎなんだけども笑
 そんなグウィンプレンだったが、宮廷で実の両親の絵と対面し、そこから過去を回想する。泣かないで、僕は幸せだったよという言葉とともに、舞台中央にはウルシュスと幼いグウィンプレンが登場する。それを上手で見つめるグウィンプレン。在りし日のウルシュス達の歌声に合わせて口ずさんでみたり、ぎゅっと唇を噛んでみたり。その後には美しく成長したデアを回想して、時と距離を超えたハーモニーを聴かせてくれる。ここでグウィンプレンは誓う。貴族として生きることで、デアやウルシュスが幸せに生きる世界を作り出して見せると。1幕の幸せになる権利の熱さと比べると、極めて静かな場面だが、運命に身を委ねてきたグウィンプレンが、はっきりと自分の意志を見せる重要な転換シーンだと思う。

笑う男

 2幕はカッコいい浦井健治さんを崇める会みたいになっていて、ここまででもうっとりする歌声やらプリンス姿やらジョシアナに濃密に迫られるいたいけな浦井さん(どっからどう見ても40歳には見えない)を繰り出してる訳だが、ここからバッチバチの殺陣を披露するわ、一番のクライマックスである貴族院での熱唱はあるわ、ラストシーン来るわで、観客も息つく暇がない。ファンの方は心臓が持たないのではと思ってしまった。私は浦井さんを見るのは初めてだったが、カッコいい浦井さん全部乗せを見れた気になったし、初浦井さんがこの作品になったのは幸運だったんじゃないかと思えた。

 少し話がそれてしまったが、圧巻の貴族院シーン。貧民から搾取するだけで、何も生み出さない貴族達。大げさな演技で滑稽な場面に仕上がっているが、くそ真面目な顔で馬鹿馬鹿しい議論をしていることの風刺だと思うと、現代に通じるものを感じて笑えない。そこに世紀の大演説をぶつグウィンプレン。観客は、生い立ちから知っているグウィンプレンの魂の叫びに保護者目線で応援してしまう。あの「目を開いて」は今まで(リアルで)聞いたどの選挙演説より心揺さぶられた。私が見た回は2回とも拍手が鳴り止まないショーストップ状態で、スタンディングオベーションが起きてもおかしくないくらいの熱量だった。ところが、グウィンプレンの全身全霊の訴えは聞き入れられず、貴族達の一笑に付されてしまう。そこで打ちのめされてからの「笑う男」も圧巻だった。グウィンプレンの巨大な影が後方のスクリーンに映し出され、目が据わった狂気の混じる表情で歌い上げる様子には鬼気迫るものがあった。
 「目を開いて」と「笑う男」が劇中一番のクライマックスだと思っているが、本当に秀逸だと思うのは、むしろ観劇後にこのシーンを反芻すればするほど、グウィンプレンの訴えが観客自身にも突き刺さってくることだ。見ている時は当然グウィンプレンに感情移入して、自分達も99%側の人間として応援している。しかし、だんだん自分達も1%側としてやるべきことがあるんじゃないかと責められているようにも思えてくる。今この瞬間にも日本中世界中で溢れている格差や不条理から目を背けているのではないか、と言われるとグウィンプレンを直視できない。

 心が痛まないのですか
 地獄への扉開けないで

 屍の上にあなたは立っている

 笑いたけりゃ笑うがいい 俺を
 その前に鏡を覗き込めよ
 何よりも醜いものが見つかるぞ

ウィンプレンの訴えが、貴族や当時の社会だけでなく、今の社会や観客自身に向けられたもののように感じられた。

ラストシーン

 これは持てる者と持たざる者の話。持っているのはどちらなのか。そもそも持てる者が持っているものは何だと言うのか。本当に持ちたいものは何なのか。

 結末は好みが分かれるところだと思うが、もし違う結末になっていれば、この命題に何らかの答が提示されただろう。例えば、全てを持っている貴族よりも何も持たない醜い貧民でも清く美しく幸せだといったように。それはそれで悪くないが、ある意味では童話的寓話的な話で終わってしまうかもしれない。一方が善で一方が悪、一方が幸福で一方が不幸と結論を出すのでなく、あの結末を迎えるからこそ答が見えない。
 観客は気持ちの持っていき方に悩み、何度も何度も登場人物の感情を反芻することになる。グウィンプレンの心情は各人の想像に任される部分もあるが、ただ、その目に強い覚悟の色が浮かんでいたことだけは心に刻み込まれている。
 そして私の目には、そこにはいないビクトル・ユゴーの姿がありありと指揮者のように浮かんできた。ユゴーはこの物語を通して、当時の世界の何を見せようとしたのか。貧民と貴族が生まれながらに持つ不条理な格差、美しさと醜さ、幸せと不幸、真実の愛と偽りの愛、意志と傀儡…あらゆるものを対比させて見せながらも、醜く不幸で不自由な偽りの特権の上に立つ貴族が力を持ち続ける不条理を最後まで描いている。では、貧民は貴族の前に屈するしかないのか。貴族の幸せは貧民の地獄の上に成り立っている…それが現実なのか。そうかもしれないが、一方で、ささやかでも美しい愛と幸せを手に、自らの意志で人生を選ぶことは、実は貴族には許されないことでもある。ジョシアナやデヴィットがどんなに無理やり刺激を作り出したところで、惰性で過ぎる人生から抜け出すことはできない。愛も幸せも自由も意志もない人生…貴族が貴族であり続けるために自らに課した地獄とも言える。地獄の上に成り立つ地獄。ユゴーは、この話をおとぎ話では終わらせず、この救いのない世界を映し出したかったのだと思った。救いのない闇だけれども、その中で儚く光る美しさ、救いを信じ続ける強さも描いているのだと感じた。
 現代の世界はどうだろうか。身分の格差はほぼなくなり、愛も幸せも意志も自由もそれなりに持てる時代にはなった。だが、根本的な社会の構造はユゴーの時代に通じるものがあり、違う形の閉塞感も漂っている。時代は変わっても、持てる者にも持たざる者にも地獄はある。その中で目指すべき光とは何か、憎むべき闇は何か。そんなことを考えさせられた笑う男だった。