初演 東京国際フォーラム
マタ・ハリ 柚希礼音
ラドゥー 加藤和樹/佐藤 隆紀
アルマン 加藤和樹/東啓介
再演 ブリリア・ホール
マタ・ハリ 柚希礼音/愛希れいか
ラドゥー 加藤和樹/田代万里生
アルマン 三浦涼介/東啓介
前回はマタ・ハリ沼落ちの軌跡を書きましたが、ここからはストーリーや登場人物についてのレポとなります。ネタバレを多数含みますので、悪しからずご了承下さい。まず1回目は、タイトルロールであるマタの魅力について書いてみます。
マタ・ハリそのもの
この作品の魅力の1つはマタ・ハリが実在した人物だということだと思っています。マタ・ハリが実際に第一次世界大戦中にスパイ活動を行い、最後は処刑されたという事実そのものが、この作品に大きな説得力を持たせています。
私は初演から見ているので、柚希礼音さんのマタの印象が圧倒的に強いのですが、まさにイメージするマタ・ハリの姿そのものでした。妖艶で豊潤な美しさ、つかみどころのない謎めいたイメージ、圧巻の踊り、簡単には流されない芯の強い女性。実在した美女というロマンと現代的な美が共存していて、劇中の男性たちだけでなく、見ている観客も魅了する圧倒的な美しさがそこにはありました。
何と言ってもダンスが素晴らしく、1幕冒頭で足が真上まで上がる体幹の強さ、2幕でビッシング将軍と踊る妖艶なダンスにはため息が出ます。特に、ビッシング将軍が首だけでマタを支えるシーンはもはや芸術というかスポーツというか、二人が指の先まで意識して創り出しているであろうポーズの残像がずっと残って、心がときめきました。
柚希さんが元男役トップということもあるんだと思いますが、放つオーラが本当に圧巻で、舞台の真ん中でソロを歌うときは確実に羽を背負っていそうというか、発光するかのようなパワーがありますよね。キッスを優雅に投げ…などのシーンでは、2階席の端から端まで目線が合っていそうな包み込み方で、まさに取り込まれそうな瞳でした。あと、ラドゥーに対峙する時、例えば「脅しになんか乗るものですか」などの台詞や視線にはヒリヒリするような圧があって、超絶かっこよくて男役―――!っと痺れました。
愛
もう一つのマタの魅力は愛の力。ラドゥーやアルマンと比べても、実はマタが一番純粋に最初から最後まで愛を貫いてるな~と感じます。マタ・ハリとしての姿はあれほどまでに妖艶で、ちょっとやそっとでは凡人を寄せつけないオーラがあるのに、マルガレータとしてアルマンを思うときは普通の可愛い女性なんですよね。屋上で朝日を見るときの笑顔や、辛い過去を打ち明ける表情、アルマンに心を預けようとする熱い眼差し、手紙を読むときの不安げな表情、無事を信じて捧げる祈り、アルマンに逢いに向かう列車の中で爆発させる嬉しさ、病室でアルマンを覗き込む時の母性に満ちた微笑み、最後の抱擁で見せる愛と絶望。あぁ~アルマンには色んな顔を見せてくれる。ラドゥーには最後まで外面しか見せないんですよね。切ない…。
マタの愛の力がストーリーを動かす場面がいくつかありますが、中でも、手紙を受け取った後に、空港に探しに行ったり、身の危険を顧みずラドゥー邸に押しかけたり、命をかけてベーリッツまで単身乗り込んだりする一連の行動は、ある意味では普段の冷静なマタからは考えられないほど、自分の衝動に正直に動いていますよね。現代のように携帯電話やらGPSやらがある時代とは違って、物理的な距離が最大の障壁となり、場合によっては生涯そのまま生き別れとなるような時代に、危険を承知で乗り込んでゆく姿。いや、危険すぎるので良い子はマネしないでね案件かもしれないんですが、正義のヒーローのようなかっこよさがありました。
それだけの覚悟を持って乗り込んだベーリッツでは、待ちわびた再会を果たした後、衝撃的な真実を告げられてしまいます。さすがのアルマンも、出会いのシーンがやらせだったとまでは言ってないのですが、もしそう言われたらマタの絶望はさらに計り知れなかっただろうなと思います。
愛を信じるから傷つくわけで、傷つくのが嫌なら最初から愛なんて信じなきゃいい。永遠に続く愛なんてない!誰しも一度はそんな心境に陥ったことがあるのではないでしょうか。けれども、頭では愛を振り払っても、心が愛し続けてしまう。そういう気持ちもまた共感できますよね。愛はするものではなく落ちるもの、なんていう言葉を思い出します。マタが愛なんてもう信じないと言いながらも、アルマンへの未練を全然断ち切れていなくて、アルマンが法廷に現れた時は何のわだかまりもなく全面的に彼を信じきっているところが、マタの愛の深さだよな~と思います。
ビッシングやラドゥーを含め、飾られたマタに対して煌びやかな愛を送る男性は沢山いたでしょうが、全てをそぎ落とした素のマルガレータを飾り気なく愛してくれる人を欲していたんでしょうね。
強さ
マタのもう一つの魅力は強さ、しかも現代的な強さがあるところだと思っています。その時代の女性は、もっと男性に依存していて、自由があまりなかったかもしれないと思うのですが、マタは誇り高く自立して生きているんですよね。過去の辛い体験から、もう愛など信じない、男性なんかに頼らない、生きるためには何でもすると心に決めて強く生きているところが、とても現代的でかっこいい。
でも愛を知って少しずつ変わっていくマタ。愛することは強さでもあり弱さでもあるんだなとつくづく実感します。愛のために何でも乗り越えられる強さが生まれてくるんだけど、愛を失うことや裏切られることへの恐れは立ち直れない弱さにつながることもある。これほどまでに愛の影響は大きいんだなと改めて思って揺さぶられましたね。
愛など望まずに強く生きていたマタが、愛を知って更に強くなったり弱くなったり、最後には愛を失って絶望的に弱くなるわけだけど、最後の最後にはどの瞬間よりも強さを持って運命を受け入れていく。その気高さがとても好きでした。
きっとマタは、最後まで自分らしく生ききったんでしょうし、後悔もなく清々しく世を去ったんでしょうし、その先には愛する人に出会えると願っていたでしょうし、会えたんだと信じています。決してハッピーエンドとは言えないかもしれないラストだけれど、運命を強く受け入れていくマタの潔さが、この悲しい物語を心洗われる余韻で浄化させてくれるのだと思います。
マタの好きな場面は沢山あるんですが、最後の歌の歌詞が秀逸で大好きです。(特にネタバレ注意です。)
今はあなたのいない世界で
失うものは何もない
だから涙見せず後悔も憎しみもなく
上を向き立ち向かう
この命の最後にやるべきこと
求め探す 空にあなた
実はとんでもなくポンコツな話なんですが、私は初回の観劇時、この一番最後の1行をちゃんと聞き取れていなくて、それでも劇場全体に響き渡るロングトーンに圧倒されて感動していたんですが、次の回で歌詞がスコーンと頭に入ってきたときに涙が溢れて止まりませんでした。
アルマンを失った哀しみ、自分の命が奪われる絶望、ラドゥーやこの時代そのものに翻弄された不条理を思うと辛くなりますが、でもそれだけではなく、愛する人の元へ旅立つことを支えに運命を受け入れる強さ、人生の最後の瞬間まで愛し抜けるような人に出会えた幸せな人生だったんだという清々しさを感じました。
このシーンでは(このシーンに限らずですが)、マタがアルマンを思う気持ちに感情移入して聴くわけですが、と同時に自分自身の大切な人との関係に結びつけて聴く人も多いと思います。特に大切な人との別れを経験したり想像したことがある人にとっては、この歌は全く別の歌として聴こえると思うんです。マタとアルマンの歌ではなく、突如自分と大切な人との歌になるというか。マタのような波瀾万丈な人生ではないとしても、自分も人生の終わりにこんな強さを持っていたい、大切な人を空に探したいと思って心揺さぶられましたし、瞳いっぱい胸いっぱいに温かい涙が溢れるのを感じました。
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私は主にラドゥー、そしてアルマンの視点から物語を見ることが多かったように思いますが、その男性達の心のど真ん中に常にマタがいるわけで、そのマタが圧倒的で揺るぎない美しさ、強さ、気高さを最初から最後まで持っていることが、このストーリーを芯から支えていると思います。アルマンとラドゥーの心をあそこまで狂わせるほどの魅惑的な女性だったという説得力がないと、このお話は成り立たないわけです。アルマン派にとってもラドゥー派にとっても、マタが舞台の真ん中で光り輝く美しさを放っていたからこそのめり込めたストーリーでした。心からこう叫びたい。マタ・ハリよ、永遠に!
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マタ・ハリ③ アルマン 〜連行してくれるの? - えとりんご