えとりんご

観劇の記録。ネタバレご注意を。この橋の向こうにジャコブ通り。

ストーリー・オブ・マイ・ライフ③ 私の物語

 ※本編とは関係ありません。私の随想録です。

 ストーリー・オブ・マイ・ライフの再演にあたり、大人なら誰しも共感できる思い出があるのでは…という紹介を何度も見たけど、他の人はどういうところに共感しているのだろう。私の共感は人と違うかもしれない、同じかもしれない。思い浮かべたのは、知人…というには近すぎる存在のA。
 自分で言うのも何だが、私はごくごく標準的な常識を身につけて育ち、道を外れることもなく、時代の求めに応じて、ある意味全方位優等生を目指すことを受け入れてきた。Aはアルヴィンほどではないが、年頃の若者としてはちょっと変わったところがあった。世間の流行や人からどう見えるかなどには殆ど興味なく、高くても安くても自分が好きなものを着て好きなものを見て好きなものを食べる。感受性が豊かで、楽しい時は大声で笑い、悲しい時はおんおん泣いた。興味のないことは全くやろうとせず、好きなことにとことん没頭する。いわばジェネラリストではなくプロフェッショナル気質だった。
 難しいのは、周りのことに無頓着に見えて、実はとても繊細でもあったこと。誰もが「出る杭」にならないことを目指す空気感の中、そんな性格なのですぐに飛び出てしまうのだけども、打たれると傷ついてしまい、ならば出ないように自分の気持ちと折り合いをつければいいものを、自分の考えが間違っているとは思っていないので、そのまま貫き通してはぶつかってしまう。純粋すぎる心を、無防備なまま常にむき出しにしているようだった。結果、体に不調が出始めた。今から思えば、心のSOSが体の不調となって出てきたのだろう。でもその時代の田舎町ではまだ今のようなメンタルケアが浸透していなかった。しかも、一見悩みなどないような天真爛漫なタイプにも見えたので、周囲も体のことは気遣っても、心を気遣うことはなかなか出来なかった。
 Aは体の療養という形で外との接触を遮断したが、私はAの唯一の理解者だと思って接していた。大好きだったし、辛い思いをして欲しくなかったし、笑っていてほしかった。Aの悩みを聞いてみると、普通の人なら多少理不尽に思っても聞き流すであろうところで、一つ一つ引っ掛かり、立ち止まり、傷ついているようだった。Aの反論は本質を突いていて、正論でもあったが、でもね…と言いたくなるものが多かった。私はなるべく話を聞くことに徹し、時には代弁し、時には裁いた。メンタルケアの何も知らなかったが、理解者だと信じていてほしかった。
 昔見たアニメの映画が妙に頭にこびりついている。女の子が突然友達に「小学校で分数の割算を習った時、すぐに分かった?」と聞く。「3で割るのは分かる。3人で分けたら1人いくつずつになるでしょう、ってことだから。でも2/3を1/4で割るって何?分母と分子をひっくり返してかければいい、って言われて、ああそうなんだって思えた?」と聞くと、友達は「でも、そういう解き方だから」という。「そうだよね。でも私はそう思えなかった。だけど周りはみんなそのままその解き方でやってた。分数の割算がすんなり分かる人は、その後の人生もすんなり進んでいける人なんだと思う。でもダメ。私は立ち止まっちゃった。」(全てニュアンスです。)
 分数の割算に何の疑問も持たなかった私は、このシーンがとても印象に残っている。Aが分数の割算で躓いたかどうかは知らないが、日々出くわす小さな疑問に、簡単に折り合いをつけることができるタイプとそうでないタイプがいる。Aは立ち止まってしまっていた。

 そうして、Aは長く暗いトンネルの中で光を探し続けた。私も探し続けた。けれども私は地元を離れることとなり、Aとも離れることとなった。今のような便利な道具がない時代、なかなか頻繁に連絡が取れなくなったので、途中経過はあまり分からないが、その後1.2年の間に体も心も回復したようだった。Aも地元を出て、家族に反対されながらも、自分のやりたいことを貫き通した。どのように回復したのかは私は知らない。結局環境を変えることでしか逃れられなかったのかもしれない。Aが間違っていたとか周りが間違っていたというのではなく、その環境がAには窮屈すぎたということなのかもしれない。
 それから長〜い年月が流れて今に至り、Aは当時の閉塞感を微塵も感じさせない明るさを取り戻しているし、貫き通した好きなことを仕事にして大きな成功を収めている。結果的に成功したから評価するというのではなく、Aを理解してくれる人に出会い、その才能を発揮できる環境にめぐり逢えて本当に良かったと思う。そして、幼い頃から全方位優等生タイプを目指すよう躾けられ、疑いもなく、立ち止まることもなく受け入れてきた私は、それなりにその路線で成功してきたと思ってはいるものの、Aの人生を心底羨ましく思っている。

 今あの時期を振り返った時、私はAの理解者でありたい、守りたい、救いたい、光を見つけたいと思っていたと思う。これは紛れもない真実。そしてきっとAも、他の人に比べると私には少しだけ心を開いてくれていた。
 でも当時の私に足りなかったもの。それは本当の意味でのAへのリスペクト。守りたい、救いたい、という気持ち自体が傲慢だったと今なら思う。ましてや、代弁したり裁いたりする必要など全くなかった。
 周りと違っていても、人とぶつかることがあっても、AはAのままでいいんだよ、変わらなくてもいい、ゆっくり進めばいい、好きなものを大事にすればいい、お姉ちゃんみたいになろうなんて全く思わなくていい、Aには Aの良さがある、みんな大好きだよ、ただ繰り返しそう伝えれば良かった。

 心から心配していたが、それはいわゆる世間一般的な通常ルートを歩んでいる立場から、立ち止まっている者へ手を差し伸べ、引っ張り上げようとしていた訳で、それはこちら側の世界があるべき世界と考えているがゆえの傲慢だった。世間体や常識を疑いもなく受け入れて、その代わりに何かを捨てて大人になった私たち。Aは、誰もが捨ててしまうその何かこそが、本質的に大切なものだと思って立ち止まっていた。Aの側から見ると、簡単に捨て去って折り合いをつける世間一般の方が悲しい人間に思えたに違いない。でも周りにその価値観を理解してくれる人がいなかった。私でさえも。

 結果、私が何か出来たわけではなく、Aは自力で暗いトンネルから抜け出してきた。その後、今に至るまで、あの頃のお互いの思いを話すこともしていない。ただ、あの頃のAが全身で発したメッセージや、その頃の私が必死に光を見つけようとしたことは、その後の私の人生や価値観、子育ての中で大きな大きな道標となっている。Aの価値観の一部がいつしか私の価値観の一部にもなり、私という人格が形成されてきたことに今さらながら気づく。Aは私にとってのアルヴィンであり、バタフライでもある。

 

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 ストーリー・オブ・マイライフの真のメッセージとは少し違うかもしれないけれど、アルヴィンの純粋さと苦悩と誰よりも正しく本質を見抜く力、トーマスの優しさと傲慢さと苦悩が、心の奥底にしまっていた古い記憶をたぐり寄せてくれました。心の深い部分までゆっくりと沁みる温かいストーリーを有難うございました。